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ドストエフスキーPart48 [無断転載禁止]
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0391吾輩は名無しである
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2019/04/30(火) 15:18:25.24ID:7NeXhXLV
出しゃばりな創価学会は沈黙せよ
迷惑老人の自分語りなんか誰も聞きたくはない
非才が駄文連投で良いレスを流すな
創価が本家地元でどれだけ嫌われてるか知らんのか
0392吾輩は名無しである
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2019/04/30(火) 21:14:44.97ID:xeqPJ3XI
>>391
相手してやりたいけどごめんなw

マジで右手親指が痛くてw あと平成最後で忙しいWWWWWW
0393吾輩は名無しである
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2019/04/30(火) 21:17:16.41ID:xeqPJ3XI
>>390
> GWだからマッタリ銭湯でも行こうかな
> でも混んでそう…

行ってきなよWW パソコンカチャカチャばかりはカラダに悪いぜ

ちなみにおれは「平成を総括し感謝し、レイワへの勝利を願い題目で、残りの2時間半を過ごす」
0394吾輩は名無しである
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2019/05/01(水) 00:57:40.09ID:VNIM0BBv
>>349
訳をかえると分かりやすいよ
とりあえず自分なりに書いてみました
本をもう一度見直してはいないので、間違いがあったら訂正してください

「ぼくの出発点になりましたのは、教会と国家というこの二つの要素、つまり、二つの個別の実態の混淆状態は、いうまでもなく、永遠につづくだろうという仮定です。
実を言えば、そういう混淆状態はありえないはずのものだし、もともとそういう事態の根底に虚偽が潜んでいるのですから、それを正常化することはおろか、
一応の妥協状態にもって行くこともけっしてできないはずなのですがね。
たとえば、裁判というような問題についての国家と教会との間の妥協は、ぼくに言わせれば、そのもっとも完全にして純粋な本質からいって、不可能です。」

つまり国家と教会は、誰かの手で繋げようとこれからもしていくだろう、とイワンは言う
イワンはそれに付け加えて言う
国家と教会の本質が違うからそれは不可能だろうと

そこでイワンは教会国家論を述べる
国家と教会は本質的に共存できない、なので国家の中に教会が属するか教会の中に国家が属するのかを「混合」ではなく関係性に注目する
0395吾輩は名無しである
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2019/05/01(水) 00:58:24.19ID:VNIM0BBv
例としてローマ(国家に教会が属した)帝国失敗をあげる

「しかし国家としてのローマには、たとえば国家の目的や基盤そのものといったような異教の文明や英知が、あまりに数多く残存することになりました。
いっぽうキリストの教会は、国家に入り込みながら、自分が立っている礎石から自分の基盤を明らかに何ひとつ譲歩できませんでした。」
0396吾輩は名無しである
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2019/05/01(水) 00:58:39.00ID:VNIM0BBv
なので、教会まで国家を引き上げることが求められているのだとイワンは述べる
一番重要なポイントは、犯罪の刑罰そのものに
「倫理やモラル」による罰を付け加えようとしたということ

「ぼくが反論したあの聖職者の方は、教会は国家の中に明確な、確固とした地位を占める、と主張されています。
ぼくはその人に反論して、むしろ反対に、教会のほうが国家のいっさいを自身のうちに包含すべきであって、国家の一隅にわずかな場所を占めるべきはない、
たとえそのことが、
いまはなんらかの理由によって不可能であるとしても、ことの本質からして疑いもなく、
それはキリスト教社会の今後の全発展の直接的な、最重要な目的とならなければならない、と主張したのです。」

ではなぜ、法の上での罰に精神的な罰も付け加える必要があるのか
この後それも書かれているけど、ウンザリするほど長くなったので割愛します
0397吾輩は名無しである
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2019/05/01(水) 01:16:11.12ID:VNIM0BBv
単語ばかり言葉ばかりを追って読むべきではない、と個人的には思っています
ここでドストエフスキーが言いたかったことは、神がいなければすべて許される、という思想が基礎にあるのではないだろうか、と思います

例えば、通常の法では行った犯罪、即、罪とはならなりません
起訴されない行為は、どんなに悪く見える行為でも犯罪として罰せられることはない
一方で、神の前で、という概念付け加えるとどうなるのか、そこにドストエフスキーは注目したのかもしれない
神の前では悪い行い、即、罪となる
つまり、神がいるのならすべて許されない、という逆説がうまれます
おそらくこれは罪と罰の潜んだテーマでもあると考えているけどね

令和一発目のレスでしたw
0398吾輩は名無しである
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2019/05/01(水) 21:47:43.46ID:qztCxK0K
「ぼくの出発点になりましたのは、教会と国家というこの二つの要素、つまり、二つの個
別の実態の混淆状態は、いうまでもなく、永遠につづくだろうという仮定です。

「ぼくはこの二つの分子の混同、すなわち教会と国家というべつべつな二つのものの混同
は、むろん、永久につづくだろうという仮定から出発したのです。
===========================================================================
======
実を言えば、そういう混淆状態はありえないはずのものだし、もともとそういう事態の
根底に虚偽が潜んでいるのですから、それを正常化することはおろか、一応の妥協状態に
もって行くこともけっしてできないはずなのですがね。

もっとも、これはありうべからざることで、ノーマルな状態どころじゃない、いくぶんた
りとも調和した状態に導くことすらできないのです。なんとなれば、その根本に虚偽が
横たわっているからです。

===========================================================================
======
> たとえば、裁判というような問題についての国家と教会との間の妥協は、ぼくに言わせ
れば、そのもっとも完全にして純粋な本質からいって、不可能です。」

たとえば裁判のような問題における国家と教会との妥協は、純粋な本質からいって不可
能なのであります。
===========================================================================

以上2つの翻訳を並べてみた。ここまでは、双方で意味を取り違えるような表現はなく思
われる。
0399吾輩は名無しである
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2019/05/01(水) 22:07:31.32ID:qztCxK0K
さて、イヴァンの「セリフ第1」の続きですが
------------------------------------------------------------------
僕が 論駁を試みた僧侶の 方の断定によれば、教会は、国家のなか

に正確な、一定した地歩を占めているというのですが、

僕は反対に、教会こそ自己の中に国家全体を含むべきであって、

国家の中にわずかな一隅を占めるべきではない。

たとえ現代において、それが何かの理由によって不可能であろうとも、将
来、キリスト教社会の発達の直接かつ重大な目的とならなければならぬ、とこう
論駁したのです。」

------------------------------------------------------------------
イヴァンの論敵の僧侶は常識的かつ現実主義的かつ通俗的な理解をいう。

イヴァン自身は「教会こそ自己の中に国家全体を含むべきであって、
国家の中にわずかな一隅を占めるべきではない。」という確信を述べる。

それを補強するように、その場に居合わせたゾシマの寺院の高僧たちも
宗教者として「とうぜん、アタリマエダノクラッカーだ」という。
------------------------------------------------------------------
きみのカキコでは、引用文を終わり、きみの書いた地の文があらわれる。

>つまり国家と教会は、誰かの手で繋げようとこれからもしていくだろう、とイワンは言う
>イワンはそれに付け加えて言う
>国家と教会の本質が違うからそれは不可能だろうと

これはカラマーゾフの本文ではどこに該当するのか? 自分でも探してみる。
0400吾輩は名無しである
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2019/05/01(水) 22:21:48.02ID:qztCxK0K
>「つまり、教会的社会裁判の問題について、教会と国家の区別を全面
的に否定しておられるらしゅうございます。」
「それは珍らしい、しかしどのような意味ですかな?」と長老はイワンに訊ねた。

=================================================================================
この論争の冒頭にある上の文からもあきらかなように

イヴァンは
教会と国家の区別を全面的に否定している

>国家と教会の本質が違うからそれは不可能だろう

から、将来 教会は国家全体を教会としていくべきである

と述べている。

=================================================================================
政治と宗教、選挙と宗教活動、そういうものを分離せよという君の主張は、われわれの理想とする

立正安国。仏法根本に、現実政治において、最終的には国家そのもの、一閻浮提いちえんぶだい(全世界)を創価

学会となさん、この日本を仏国土となさんとする、日蓮大聖人の閻浮提内広令流布(えんぶだいないこうりょうるふ

)の指令をまっこうから否定するものである。
0401吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/01(水) 22:27:59.47ID:qztCxK0K
(ヨシフ)
「この人はいろいろな議論の中に、論敵たる僧侶の(これは注目すべき事実でございます)『根本的か
つ本質的命題』を論駁しておられます。

その命題は第一に、――『いかなる社会的団体といえども、自己の団体員の公民的、並びに政治的権
利を支配するの権力を所有するあたわず、かつまた所有すべからず。』

第二に、『刑法的および
民法的権力は教会に属すべきではない。教会は神の制定したるものとして、また
宗教的目的を有する人々の結社として、性質上かかる権利と両立することを得ず』

最後の第三は、『教会はこの世の王国にあらず。』というのでございま
す......」
================================================================================

「聖職者にあるまじき言語の遊戯でございます!」とパイーシイは我慢しきれないでまた
口を出した。
0402吾輩は名無しである
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2019/05/01(水) 22:36:47.03ID:qztCxK0K
ぼくがテキトウな意見をぶっこむから よく聞いとくんだよ!

> まとめれば、宗教とは形而上的事物であるという根拠、と、政治とは形而下的事物であるという根拠、これらに基づいて宗教と政治は相容れない

「君の言ってることは信仰者にあるまじき言語の遊戯でございます!!!!」

現実生活のすべてにおいて そこにおいてこそ 信仰の真価はあらわれるし、問われる

形而上も形而下もないっ 心と現実生活のいっさいの事象は「而二不二」ににふに です!
0403吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/01(水) 22:47:23.46ID:qztCxK0K
「わたくしはあなたの 論駁されたあの本を読んで」とイワンの方を向い
た。『教会はこの世の王国にあらず。』という言葉に一驚を 喫しました。もしこの世
のものでないとすれば、この地上に全然存在するはずがないではありませんか。聖
書の中にある『この世のものならず』という言葉はそのような意味で用いられてはお
りません。

このような言葉を 弄ぶのはあるまじきことです。主イエス・キリストはとりも
直さず、この地上に教会を立てるためにおいでなされたのです。天の王国はむろん
この世のものでなく、天上にあるに相違ありませんが、それに入って行くには、地上
に建てられた教会を通るよりほかに道がありません。

それ故この意味における俗世間的地口は不可能で、かつあるまじきことです。

教会は真に王国です、君臨すべき使命を有しているのです。それゆえ、
最後は独立せる王国として、地上全体に出現しなければなりません
――これはもう神の誓約のあることです!......」

彼は急に己れを制したかのように口をつぐんだ。イワンは敬意と注意を表しなが
ら、その言葉を聞き終わると、

=================================================================================
ここに書いてあるとおりです。創価学会は公明党を保持し、選挙という合法的手法により、
この日本国を良くするためにある。

そしてもちろん究極的理想は、全日本人全民衆全世界をひとり残らず この仏法をたもたせ救い切ることです。
0404吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/01(水) 22:52:04.99ID:qztCxK0K
令和元年 第一日目

我並びに我が師 わが家族 我が眷属 一切衆生とともに仏道をじょうぜんことを祈念し
0405吾輩は名無しである
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2019/05/02(木) 01:56:05.32ID:fL/9KaAq
>>403
そう、分からないのか/そう思うのか、という選択になるばかりです
分かったことと言えば「私は分からない」ということを私が理解するか、「私がそう思う」ということを私が知るのか、2つの選択がいつも顔を出す

「俺の頭脳はユークリッド的であり、地上的なんだ。だから、この世界以外のことはとうてい解決できないのさ。お前にも忠告しておくけど、この問題は決して考えないほうがいいよ、アリョーシャ、何より特に神の問題、つまり神はあるか、ないかという問題はね。」

理性には限界があるということ

「神は種子を他界より取ってこの地上に撒き、己れの園を作り上げられたのである。こうして成長すべきものは成長し、成長したものは現に生活している。」

天上のことを地上で理解する、言い換えれば、そもそも理解できないことを理解する
最高のパラドックスがここにある

イワンには、じゃあどうすればいいのか、という始めても終わっても葛藤が残るだけです
でも葛藤はいつも残り、この葛藤こそイワンの本当の本当の本質だと思います
肯定的にも否定的にも解決しない、ということです
ではなぜ相反する自己を持とうとするのか
デカルト風に言えば、われ葛藤す、ゆえにわれあり、です
そう、私は在る、これがきっと彼にとってすべてなのかもしれません
我あり、という
0406吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/02(木) 15:50:29.40ID:v5loRsCc
>>405
まず、こんな「創価学会の話ばかり聞かせて」ごめんな。厭になるよな。

> 「俺の頭脳はユークリッド的であり、地上的なんだ。だから、この世界以外のことはとうてい解決できないのさ。お前にも忠告しておくけど、この問題は決して考えないほうがいいよ、アリョーシャ、何より特に神の問題、つまり神はあるか、ないかという問題はね。」
> 理性には限界があるということ

ぼくが思うに、「 理性には限界がある」どころじゃない、ぼくたちはなにも知らないし、
だからこそ、理性ではなく知でもなく、ぼくなら仏教きみならキリスト教の信仰に賭けてみよう
とおもったんじゃないか?
理性や知から信仰が生まれるのではなく、信仰から「聡明さ」が生まれるんでしょ?他の優しさや勇気や力強さなどの徳性も。

> イワンには、じゃあどうすればいいのか、という始めても終わっても葛藤が残るだけです
> でも葛藤はいつも残り、この葛藤こそイワンの本当の本当の本質だと思います
> 肯定的にも否定的にも解決しない、ということです
> ではなぜ相反する自己を持とうとするのか
> デカルト風に言えば、われ葛藤す、ゆえにわれあり、です
> そう、私は在る、これがきっと彼にとってすべてなのかもしれません
> 我あり、という

イワンは、ぼくたちの生命の一側面を表している。ぼくたちの内部に確かに、カラマーゾフの登場人物たちが
ひとり残らずいる。ミーチャのようなワイルドな生活欲も。ヒョードルのごときアイロニカルなオヤジも。
ゾシマの慈悲と清澄さも。そしてもちろんアレクセイの純真も。
0407吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/02(木) 17:44:57.94ID:bI7/856G
ドストエフスキーは主知主義的な信仰、つまり理神論を排した
この中にはイワンのような理知主義やその反動である不可知論も含まれる
ゾシマ長老による一種の汎神論的大地主義はこの観点から検討されるべきであり
世俗内伝道者アリョーシャの誕生が荒れ野の修行者たるイエスと重なるのもそのため
これを仏教的に理解しようとするのなら修験的な在野主義だろうね
そもそもイエスキリストの属したエッセネ派は修験道に似ているんだよ
0408吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/02(木) 23:21:40.93ID:NQwjc1pm
創価学会の話ばかり聞かされてとっても嫌です
公明党には絶対に投票しません
0409吾輩は名無しである
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2019/05/03(金) 02:19:49.37ID:sNMarCMg
>>406
>だからこそ、理性ではなく知でもなく、ぼくなら仏教きみならキリスト教の信仰に賭けてみよう
>とおもったんじゃないか?

そうなのかもしれないね
キルケゴールは思惟と概念の終わりに信仰がある、なんていうけど、不遜にも分かる気がしないでもない

でもどこかで思っていることは、この世界に真理なんてものがあるとしても、それは地上の言葉で書かれているはずだし、地上で理解されるように与えられているはずだから、概念と理性よる理解ができるんじゃないかなんていつも頭をよぎる
それはまるで円運動になっているために、始まりも終わりも同じ所で終わっている錯覚に陥りますがw
0410学術
垢版 |
2019/05/03(金) 09:34:49.11ID:WUksx514
信仰が時を経て薄まるどころか、より強固でいいものに仕上がっているのを読むのは
楽しみです。
0411吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/03(金) 11:59:07.74ID:U8Sf7G8I
ドストエフスキーもキチガイだが
このスレに粘着している連中もキチガイだな(笑)
0413オニオン
垢版 |
2019/05/03(金) 17:19:34.46ID:8qkptDZG
状況が変われば真理も変わる
封建社会の理想は永遠なるものを追及してきた
しかし近代社会は進化し続けることを求める
0415吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/04(土) 02:12:43.56ID:rkpTz97l
たまにはドストエフスキーチョット離れてみます

ドストエフスキーの大審問官と並べてカフカの審判の掟の門という章がある
掟とは縛るものであることは同じであるが、西洋では心の中の抑制となることが多く、東洋では外側から抑制する法やモラルに置き換えられる
大審問官と比べると、章全体を読み終わった後の解釈は多いみたいよ
0416吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/04(土) 02:13:36.69ID:rkpTz97l
掟の門前

道理の前でひとりの門番が立っている。
その門番の方へ、へき地からひとりの男がやってきて、道理の中へ入りたいと言う。
しかし門番は言う。
今は入っていいと言えない、と。
よく考えたのち、その男は尋ねる。
つまり、あとになれば入ってもかまわないのか、と。
「かもしれん。」
門番が言う。
「だが今はだめだ。」
道理への門はいつも開け放たれていて、そのわきに門番が直立している。
そこで男は身をかがめて、中をのぞいて門の向こうを見ようとした。
そのことに気づいた門番が笑って、こう言った。
「そんなに気になるのなら、やってみるか。
おれは入ってはいかんと言っただけだからな。
いいか、おれは強い。だが、おれはいちばん格下の門番にすぎない。部屋を進むごとに、次々と門番が現れるだろう。
そいつらは、前のものよりもっと強いぞ。
三番目の門番でさえ、おれはそいつを直視することもままならん。」
0417吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/04(土) 02:14:24.62ID:rkpTz97l
続き

これほどの難関を、へき地の男は予想だにしていなかった。
道理は誰にでもいつでも開かれているはずなのに、と思った。
だが、男は門番をじっと見つめた。
門番は毛皮のコートに身を包み、大きなかぎ鼻を持ち、黒く長いモンゴルひげをひょろりと生やしている。
そのとき男は心に決めた。むしろ、入っていいと言われるまで待つのだ、と。
門番が男に腰掛けを与え、門のわきへ腰を下ろさせた。
その場所で、男は幾日も幾年も座り続けた。

男は、入ってもいいと言われたくて、さまざまなことを試してみた。だが、あまりにもはげしいため、門番をうんざりさせた。
門番は、幾度となく男に簡単な尋問をおこなった。
i男の出身地をあれやこれやと問いつめた。
それ以外のことも同じように訊いたが、その問いかけは目上の人間がする一通りのものにすぎず、いつも終わりに門番は男へこう言うのだった。
今は入っていいと言えない、と。

旅のために男はあらかじめたくさんのものを持ってきたが、すべて使ってしまった。だが、どれもずいぶん役に立った。門番に賄賂を贈ったのだ。
この門番はどれもみな受け取りはしたが、そのときにこう言い添えるのだった。
「一応もらっておく。やり残したことがあるなどと思ってほしくないからな。」
何年ものあいだ、男はほとんど休みなく、門番から目を離さなかった。
そのうち男は他にも門番がいることを忘れ、最初のこの門番が、道理へ到るための唯一の障害だというふうに思えてきた。
0418吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/04(土) 02:14:41.73ID:rkpTz97l
続き

男は不幸を嘆いた。はじめの一年はなりふり構わず声を張り上げていたが、年老いてしまうともう、ただいつまでもだらだらとぼやくだけだった。
子どもっぽくなった男は、門番をずっとつぶさに見てきたからか、なんとその毛皮の襟巻きにノミがいると気づいた。
そこで、男はそのノミに、助けてくれ、あの門番を説得してくれ、と頼み込んだ。
ついには視力も衰え、男は本当に暗いのか、ただ目の錯覚なのかが、わからなくなった。
とはいえ、暗闇の中、道理の門から消えずに差し込んでくる光が、男には今はっきりと見えた。
もう、男の命ももはやこれまでだった。
死を目前にして、男の頭の中で、今までの人生すべての時間が、ひとつの問いへと集束していった。
それは男がこれまで門番に一度も訊いたことのない問いだった。
男は門番に、手を振って知らせた。
身体がこわばって、もはや自力で起き上がることができなかった。
門番は男のためにしゃがみこんだ。
ふたりの大きな身長差が、今は男にとってずいぶん苦しいものとなっていたからだ。
「今さらいったい何を知りたいというのだ。」
門番が訊く。
「欲張りめ。」
「だが、万人が道理を求めようとするではないか。」
男は言った。
「どういうわけで、長年にわたって、わたし以外に誰も、入ってよいかと聞きに来ないままだったのだ?」
門番は気づいた。男はもう、今わのきわにいる。
かすかな聴覚でも聞こえるよう、門番は男に大声でどなった。
「ここでは、他の誰も、入ってよいなどとは言われん。なぜなら、この入り口はただお前のためだけに用意されたものだからだ。おれはもう行く、だからこれを閉めるぞ。」
0419吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/04(土) 09:58:07.99ID:q7erutFY
KARAの前でひとりの門番が立っている。
その門番の方へ、へき地からひとりの娘がやってきて、KARAへ入りたいと言う。
門番とはスンヨンである。

しかしスンヨンは言う。
今は入っていいと言えない、と。
よく考えたのち、その娘は尋ねる。
つまり、あとになれば入ってもかまわないのか、と。
「かもしれん。」
スンヨンが言う。
「だが今はだめだ。」

KARAへの門はいつも開け放たれていて、そのわきに門番が直立している。
そこで娘は身をかがめて、中をのぞいて門の向こうを見ようとした。
そのことに気づいたスンヨンが笑って、こう言った。

「そんなに気になるのなら、やってみるか。
おれは入ってはいかんと言っただけだからな。
いいか、おれは強い。だが、おれはいちばん格下の門番にすぎない。部屋を進むごとに、
次々と門番が現れるだろう。
そいつらは、前のものよりもっと強いぞ。
三番目の門番でさえ、おれはそいつを直視することもままならん。」
0420吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/04(土) 13:47:43.30ID:9rYEpyX3
>>415
>掟とは縛るものであることは同じであるが、
>西洋では心の中の抑制となることが多く、


キリスト教的倫理観だと内なる神という良心との対話になる


>東洋では外側から抑制する法やモラルに置き換えられる


仏教だと「魔がさす」という言葉にもあるように
「悪」外部からは到来する
しかしこれはキリスト教における悪魔の誘惑にも似ているが
神とリンクした良心のような内面性はそれほどない

どちらかと言うと朱子学や陽明学の明徳論が自己抑制的である
しかしこれもキリスト教のように個人の内面が唯一神と直結するようなものではない
いわゆる東洋的発想だと自我が溶解して個人の人格が他者とリンクすることによって
倫理が達成される

こういう自己解体による倫理性の確保という視点が
ドストエフスキー作品にも見られるのだが
もちろんこういう考え方はキリスト教とは相いれない
というのも一種の汎神論になって信仰も解体されてしまうから
0422吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/04(土) 23:18:04.72ID:rkpTz97l
思考は人格に間違いなく影響するよ
そもそも自己なんて思考の塊みたいなもんだし
考えることが良いのか悪いのかについては何も言えないけど、自己を持つ人間ならば、考えることが存在することでもある
だから考えよう

「私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない。」
0423吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 01:35:36.43ID:A9tHutwT
>>420
そうですね
ドストエフスキーも内なる葛藤や個と神との関係に倫理を打ちたてようとしていたのかもしれないね
理性に恥辱と写るものが心には美に写る、という矛盾がそこにはあります

「それよりももっと恐ろしいのは、心にすでにソドムの理想を抱く人間が、マドンナの理想をも否定せず、その理想に心を燃やす、それも本当に、清純な青春時代のように、本当に心を燃やすことだ。
いや、人間は広いよ、広すぎるくらいだ、俺ならもっと縮めたいね。何がどうなんだか、わかりゃしない。そうなんだよ!理性には恥辱と映るものも、心にはまったくの美と映るんだからな。」
0424吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 03:17:26.55ID:zK/mG5P/
>>407
> ドストエフスキーは主知主義的な信仰、つまり理神論を排した
> この中にはイワンのような理知主義やその反動である不可知論も含まれる

本文引用をお願いします。反感で書いてるのではなく、おそらくその通りだとおもうが理解を深めたいためです。

> ゾシマ長老による一種の汎神論的大地主義はこの観点から検討されるべきであり

これも本文引用をお願いします

> 世俗内伝道者アリョーシャの誕生が荒れ野の修行者たるイエスと重なるのもそのため

世俗内伝道者アリョーシャ」というのはなんとなくわかりますが、「荒れ野の修行者たるイエス」に

重なりません。ぼくの中では。

> これを仏教的に理解しようとするのなら修験的な在野主義だろうね
> そもそもイエスキリストの属したエッセネ派は修験道に似ているんだよ

修験道」というのは現代社会で死んでいる宗派という個人的イメージ。
0425吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 03:20:36.88ID:zK/mG5P/
>>421
> どうでもいいことをごちゃごちゃと

君こそ、そんなナンセンスのツッコミはいらないんだよ。2ちゃんの悪癖だね。

「どうでもいい」とおもう箇所を引用して、なぜ?「どうでもいい」と感じたか、それくらい書き給えよ。
0426吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 03:23:00.19ID:zK/mG5P/
>>422
すいません。例のカフカの門のアレだけど すごい頭に残っちゃって

理解しようと必死なの。このまま流さないで、なんか続きを書いてよ。
0427吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 03:48:33.44ID:wSTX+Ur0
このスレの住民も掟の門と似た様なもんだな
ドストは門の向こう側へ行っちゃったな
0428吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 05:57:08.34ID:zK/mG5P/
ぼくは何度でもゾシマを引用する。しかも同じ箇所だ。なぜなら、ひじょうに重要な思想
があるからだ。
これは日蓮大聖人の思想とイメージ的に極度に似ているのだ。

(I)地獄 地獄の火 神秘的考察

諸師よ、『地獄とはなんぞや』と考察する時、私は次のように解釈する、『すなわち、も
はや愛し 能わざる苦悩である。』

時間をもっても空間をもっても測ることのできない無限の世界において、ある一つの精神
的存在物は、地上の出現によって『われ有り、故にわれ愛す』という能力を授けられた。

彼は実行的な生きた愛の瞬間を、一度、たった一度だけ与えられた。これが即ち地上生活
なのである。それと同時に時間と期限が与えられた。

ところが、いかなる結果が生じたか? この幸福な生物は限りなく貴い賜物を 拒んで、尊重
することも愛好することも知らず、嘲笑の眼をもって眺めながら、最後まで無感覚
のままで押し通した。

=================================================================================
1,一度、たった一度だけ与えられた

2,それと同時に時間と期限が与えられた

ぼくは若いときから、まいどこの箇所を読むとき感動を禁じ得ない。レイワのいまこの瞬間、印象に残ったのは、上の2つの表現だった。
0429吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 05:59:22.77ID:zK/mG5P/
どうか友たちよ。

ぼくがなぜこの箇所を、そしてゾシマの指導集を、こうまで愛するのか?そのなぞを解いてくれ。

ぼくにさらなるインスパイアを与えておくれ。
0430吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 06:00:41.33ID:zK/mG5P/
ぼくがカラマーゾフの兄弟を読む最大の目的は

人生を恐れる若い友たちへ、そうではないんだ!ということを語れる言葉を求めている。

そのためなのさ。
0431吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 06:06:25.82ID:zK/mG5P/
たとえばここにブラウザとしてクロームとファイアフォックスがあるとする。

それらは似てるかちがうか? だが究極的なマナコで見た時

それらは「まったく同じもの」ではないか?

ぼくはカラマーゾフのゾシマの教えと創価学会のおしえは「まったく同じもの」といっても

さしつかえないと考える。哲学的観点など完全に はなから読み飛ばしている。

大事なのはひとを救い、それを通じて自分を救うことと考える。自他ともにいっしょに幸福になっていくことだと考える。
0433吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 14:32:13.21ID:zK/mG5P/
(I)地獄 地獄の火 神秘的考察

諸師よ、『地獄とはなんぞや』と考察するとき、私は次のごとく解釈する、『すなわち、
もはや愛しあたわざる苦悶である。』時間をもっても、空間をもっても、はかることの
できない無限の世界において、ある一つの精神的存在物は、地上の出現によって『われ
あり、ゆえに、われ愛す』という能力を授けられた。

彼は実行的な「生きた」愛の瞬間を、一度、たった一度だけ与えられた。これがすなわち
地上生活なのである。

それと同時に時間と期限が与えられた。ところが、いかなる結果が生じたか?

この幸福な生物は限りなくとうとい賜物をこばんで、尊重することも愛好することも知らず、
嘲笑の目をもってながめながら、冷淡な態度をじしていた。
0434吾輩は名無しである
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2019/05/05(日) 14:41:30.44ID:zK/mG5P/
>>433
>諸師よ
と師匠であるゾシマは、弟子である神父たちに語りかける

私はいつも「地獄って何?」と思っています、と。きみたちはそういうことを考えたことがあるか?

日蓮もまた「地獄とはなんぞ?」と考え、同じ結論を述べている。(精確には書かない)
0435吾輩は名無しである
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2019/05/05(日) 14:46:01.63ID:zK/mG5P/
>時間をもっても、空間をもっても、はかることの
できない無限の世界において、

場所はどこだ?

時空間では測れない、無窮無盡のある場所だ。きみたちはドストエフスキーを読んでいるつもりになってるだけだ。

これらの文もサラッと読み飛ばしているだろう?
0436吾輩は名無しである
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2019/05/05(日) 14:57:43.45ID:zK/mG5P/
>ある一つの精神的存在物は、地上の出現によって『われ
あり、ゆえに、われ愛す』という能力を授けられた。

「ある」とは「某」だ。だれそれである必要はないのだ。一個の霊魂をもつ生命が、先の計測不能の場所に出現し

ある能力を賦与された。そしてなんと叫んだのか?

「我在故我愛!」『われあり、ゆえに、われ愛す』だ。「私 恋しちゃったんだあ」いったい何に対して?
0437吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 15:14:20.47ID:zK/mG5P/
僕が今生きいる世界は地獄だ。「僕は恋をしている!」と君に対して叫びたい。

一度、たった一度だけ「生きた」愛の瞬間を君に捧げたかった。

一瞬間でよかった。積極的で、暖かい愛の瞬間をきみに捧げるべきだった!

なんとなれば、僕がこの世に生まれてきたわけは

君を愛するためだったから
0438吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 15:31:08.95ID:zK/mG5P/
だがもうムリなんだ。わかるね?

もう愛の季節は終わったんだ

そう... 僕らは拒む

この贈り物を放棄し、

大切にしない

バカにして愛さない

そして永遠に無関心になる

=================================================================================
僕がこんな世迷いごとを書いているのは、「某」が能力を授けられたが、なぜそれを実行しなかったか?について

考えて見るためだ。牛丼でも食ってくる。じゃあね
0439吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 22:38:08.87ID:jg+KPq5t
論点もなく適当なことを書き散らしても時間の無駄にしかならないんだよね
毎日5chにかじりつくしかない人はそれでいいのかもしれないけど
すこしでも知的な人はそれを相手にせず静かに通り過ぎていく
0440吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/05(日) 23:38:24.44ID:TH8nYGw1
>>427
>ドストは門の向こう側へ行っちゃったな

道元が正法眼蔵で触れている祖師西来意のようなもので
向こう側に行ったら駄目なんだよ
原理的に解答不可能な境地について考えるので
キリーロフやイワンのように発狂してしまう
内田樹ならキープするなパスしろ!
あるいは立ち止まって考え込むな!というだろうね
宇宙の果てや世界の終わりについて考えても仕方ないし
これに世俗道徳をからめてもしょうがない
でも宗教とはそんなものなんだけどさ
0441吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/06(月) 00:58:48.48ID:BLYLvuC4
>>426
もう上レスですでに書かれているけど、個人的には二通りの見方がある

一つは、道理の門とは一線を越えなかったということ
法でもあり秩序でもある道理を踏みとどまって、そこに尋ねてはしたけれど最後まで枠に留まることを選択した、という道理がそこにある

もう一つは、道理に、自分より大きな存在からの許可を求めたということ
良心や道徳などの自己基準は自分より大きな存在に許可を求めて、それが与えられれば道理など弱いものに過ぎないとも解釈できる
許可さえあれば人は簡単に道理など踏み越える、という風刺としても読める

ただし共通する解釈として重要なのは、この物語の通り、道理とは彼のみに与えられた門であり、万人共通の道理があると思っているのは誤解だ、ということです
カフカは実在主義を個であることにこだわり、すべての感覚から発生する情緒もまた個人的なものであるとする考えはドストエフスキーと似ている概念だと思うよ
一匹の毒虫に変わったとしても全体は自分という個とは何も関係しない、ということです
どこまで行っても、すべては自分と自分の門の物語である、ということです
0442吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/06(月) 01:44:54.73ID:BLYLvuC4
もうすこし踏み込んだ話をすれば、宗教も同じ見方ができる
この道理とは法とか秩序とか、もっと言えば神に置き換えてもいいとさえ思います

例えば、病院において、医者は何人もの患者を請け負うことになる
しかし患者からすれば医者は主治医一人になる
医師からすれば患者という多数に「共通」の健康を与えるが、患者からすれば「自分」の健康を求めるのみ、ということ
学校の教師と生徒でも同じことだね

個人的に信仰や倫理や道徳(するかしないかは別問題として)についても同じことが言えるし、それを誤解している人が多いとも思っている
神(道理でもなんでもいい)からすればすべての人間について語るけども、人からすれば自分と神しかそもそもいない、ということが上の根拠から言えないだろうか

だからキリーロフでさえ見習う所はあると言える
彼はあらゆる秩序を自分のみに向けた
だから他者の殺人ではなく、自分の殺人なのだろう
道理も道徳も倫理も神との関係も、患者という人の立場からすれば、自分に向けることしかできないはずなのに、多くの宗教やその団体は創始者の意図とはかけ離れて、自分の門では飽き足らず人の門まで叩こうとする姿勢は考えさせられる、と個人的には思っています
イワンは微妙だけど老婆殺しのラスコリニコフはこのパターンだと思われる

GWもおわるから明日から早く寝なくちゃw
おかけげ昼夜逆転したw
0443吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/06(月) 02:06:37.42ID:BLYLvuC4
>>428
>時間をもっても空間をもっても測ることのできない無限の世界において、ある一つの精神
>的存在物は、地上の出現によって『われ有り、故にわれ愛す』という能力を授けられた。

イエスキリストのことだと思うよ
そもそも神は時間に属さない
そしてその神が「受肉」したということはキリスト教として超重要な出来事である
キリストはいう、新しい戒めとして、神を愛することと隣人を愛すること、と告げた

神と違って人間は時間に属する存在だから、この世では有限の中を生きているという真理がある
感じ方に違いはあれど、その時間は少ない
だから憎み合っている暇はない、愛し会う時間ですら少ないのだから、人を自分自身のように愛することが我ありという存在証明になるくらい仲良しでいこう!、みたいな感じかな

ちなみにその逆に、相手が死んでから、愛しあえって行ったのは誰だ?みたいな書き方をしている著作もあったよね
おとなしい女だったかな
0444吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/06(月) 03:08:03.31ID:76nO5UhD
>>439
> 論点もなく適当なことを書き散らしても時間の無駄にしかならないんだよね
> 毎日5chにかじりつくしかない人はそれでいいのかもしれないけど
> すこしでも知的な人はそれを相手にせず静かに通り過ぎていく

おまい、まずスルーできてねえしW どこが知的なの? 知的以前に「何も書けねえじゃん!」

はやく、ドストエフスキーについて本文引用して書きなよ
0445吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/06(月) 03:15:36.95ID:76nO5UhD
>>440
>>441
おふた方はこのスレの重鎮です。それはここのスレ主であるぼくが認めますWW

元来は、能力的に煽り程度しか書けないものが集うべきネット掲示板に、ぜんこん込めて投稿してくれてる。

おれたちは異次元です。それができるのはなぜですか?ぜんぶドストエフスキーの功徳です。

明日以降ゆっくりレスします。ありがとうメルシー
0446吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/06(月) 03:17:57.89ID:76nO5UhD
>>443
> >時間をもっても空間をもっても測ることのできない無限の世界において、ある一つの精神
> >的存在物は、地上の出現によって『われ有り、故にわれ愛す』という能力を授けられた。
>
> イエスキリストのことだと思うよ

これだけ。それは違うんじゃないの? だってその存在物はいっさい尊重せず愛さないんだよ?
0448吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/06(月) 22:21:44.91ID:76nO5UhD
>>441
まず本文すらちゃんと読んでないことを先にアヤマル。

> 一つは、道理の門とは一線を越えなかったということ

いちおう納得。

> 法でもあり秩序でもある道理を踏みとどまって、そこに尋ねてはしたけれど最後まで枠に留まることを選択した、という道理がそこにある

最後まで枠に留まる」というのは、自分の意志でとどまったんだっけ?
>
> もう一つは、道理に、自分より大きな存在からの許可を求めたということ

なっとく。

> 良心や道徳などの自己基準は自分より大きな存在に許可を求めて、それが与えられれば道理など弱いものに過ぎないとも解釈できる
> 許可さえあれば人は簡単に道理など踏み越える、という風刺としても読める

すばらしい。この説明は。
>
> ただし共通する解釈として重要なのは、この物語の通り、道理とは彼のみに与えられた門であり、万人共通の道理があると思っているのは誤解だ、ということです

そういうことなんか? 「道理とは彼のみに与えられた門であり」へ?何この日本語、理解できん。となっていた。

> カフカは実在主義を個であることにこだわり、すべての感覚から発生する情緒もまた個人的なものであるとする考えはドストエフスキーと似ている概念だと思うよ
> 一匹の毒虫に変わったとしても全体は自分という個とは何も関係しない、ということです
> どこまで行っても、すべては自分と自分の門の物語である、ということです

このところは わかるような、わからんような。なっとくゆかん。

あとで読み返す。
0449吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/06(月) 22:31:38.05ID:76nO5UhD
>>442
例えば、病院において、医者は何人もの患者を請け負うことになる
しかし患者からすれば医者は主治医一人になる
医師からすれば患者という多数に「共通」の健康を与えるが、患者からすれば「自分」の健康を求めるのみ、ということ
-----------------------------------------
ここの喩えは、一次的に、ひじょうに理解しやすいたとえです。しかし、もういちだん深くみると、どうでしょう?
さいしょ、その患者は「「自分」の健康を求めるのみ」の姿で、泣きながら名医のところへ行った。

だが、その患者はしだいに目覚めていった。おのれひとりの病苦がこの世界にあるのではないと。

医者さえも患者であった。病院の全てのひとが患者であった。さらに全人類が病者であった。こう理解したならば?
その患者は、身近なたったひとりを看護するために立ち上がった。つぎは一切衆生の看護婦になろうと決意しないだろうか?
0450吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/06(月) 22:36:25.06ID:76nO5UhD
>多くの宗教やその団体は創始者の意図とはかけ離れて、自分の門では飽き足らず人の門まで叩こうとする姿勢は考えさせられる、と個人的には思っています

まず「創始者の意図」とはなんのことでしょう? 

キリスト教であれは、キリストは個人主義的な、信仰を勧めたのですか?

もうひとつは「伝道」とか「広宣流布」ということが「何故あるのか?」その目的を誤解してると思います。
0451吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/06(月) 22:44:48.50ID:76nO5UhD
>>440
> >ドストは門の向こう側へ行っちゃったな
>
> 道元が正法眼蔵で触れている祖師西来意のようなもので
> 向こう側に行ったら駄目なんだよ
> 原理的に解答不可能な境地について考えるので
> キリーロフやイワンのように発狂してしまう
> 内田樹ならキープするなパスしろ!
> あるいは立ち止まって考え込むな!というだろうね
> 宇宙の果てや世界の終わりについて考えても仕方ないし
> これに世俗道徳をからめてもしょうがない
> でも宗教とはそんなものなんだけどさ

=================================================================================
ぼくがいつもあなたのカキコを読んで感じるのは、広く学び多くを聞き、哲学的宗教的観念を

捉えようとしていることですが、逆にそれがあなたのガンになっていると思う。

イヤ、思うと言うより、あなたも知っているとおり、古聖たちは「そういう態度はあかん」と皆指摘している。
無意味な思考を捨てて、思考なんか役に立たないじゃないですか?ある意味。

ぼくらは「自分のわがままで愚かな思考の堂堂巡り」で容易に逃げる道、たやすい道、愚かな道を

選択するじゃないですか? 
0452吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/07(火) 00:41:40.81ID:hWxzSRs1
>>448
>そういうことなんか? 「道理とは彼のみに与えられた門であり」へ?何この日本語、理解できん。となっていた。

>>418
>「ここでは、他の誰も、入ってよいなどとは言われん。なぜなら、この入り口はただお前のためだけに用意されたものだからだ。おれはもう行く、だからこれを閉めるぞ。」
0453吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/07(火) 00:51:47.05ID:hWxzSRs1
>>449
例えは何かの比喩というだけで、単語に意味はほどんどないということ
ここでの問題は「関係」ついて例えているだけにすぎないよ
関係には関係する役割があって、要するに、神は神という立場で、被造物は被造物という立場でしか関係を持てない、という話の例えが医者と患者ということ
だから学校でもいいし、会社の上司と部下でもいい
あくまで例え話だからね
0454吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/07(火) 01:19:00.49ID:hWxzSRs1
>>450
伝える、ということの意味がぼくとは違うんだろうね
どちらがいいのか悪いのかではなく、おそらく深層では認識の違いだと思うよ

キリスト教について無知なぼくより詳しい人に聞いた方がいいんだけど、それでも言えることは、なんでも語りかける時は基本的に「汝は」で始まる
「人間は」ではなくて「あなたは」として語りかけるということ

あなたの隣人を愛しなさい、ということ
その「あなたの隣人は誰か」というのは、語りかけたものの指定ではなく、語られたものの問題ということ

そこには自由意思の存在がある、自由意思とは何か
それは、ただ一人で選択することが「出来得る」ということ
なのでこの話は、個人主義とか全体主義という枠組みの内容の話とはまったく別問題、ということです

大審問官のパンと自由の、第一の悪魔の誘惑を読むといいよ
カフカ流に言えば、自分の門を叩くかどうかは自分が自由に選択することで、それは彼のみに与えられた特権である
0455吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/07(火) 01:22:41.82ID:hWxzSRs1
というか10時から電気消して布団にいるのに寝られないw
休み開けはいつもこうだ
スマホか長靴か、だねw
0456吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/09(木) 01:02:43.53ID:UhpuaV0y
罪と罰の新訳を再読中
地下室読んだ後だと主人公がラスコリニコフの分身だったとわかって面白い
0457吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/09(木) 13:39:25.17ID:Hcw2EUAl
>>428
それと同時に時間と期限が与えられた。ところが、いかなる結果が生じたか? この幸福な
生物は限りなく貴い賜物を 拒んで、尊重することも愛好することも知らず、嘲笑の
眼をもって眺めながら、最後まで無感覚のままで押し通した。

こういう人が地上を去った時、富めるもの及びラザロに関する寓話に示されているように、
アブラハムの懐をも見るだろうし、アブラハムと物語をもするだろうし、天国を見かつ神の
もとへ赴くこともできよう。

しかし、愛することのできなかった者が神のもとへ赴き、他人の
愛を蔑視した者が愛を抱ける人々と接触する、ということに苦痛が存するのであ
る。なぜならばこの時はじめて目が醒めて、心の中でこう思うからである。
0458吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/09(木) 13:40:22.08ID:Hcw2EUAl
『今こそようやく分かった。たとえ今愛することを望んだところで、自分の愛には効果
もなければ犠牲もない。

地上の生活はもはや終わったからである。いま自分の胸には、地上で蔑視した精神的愛の渇
望が炎のように燃え立っているけれども、それを癒やすための生きた水(即ち以前の実行的な
地上生活の賜物)を、ただの一滴でも持って来てくれるアブラハムはいないのだ。

いま他人のために自分の命を喜んで捧げる覚悟はあっても、それはもはや不可能なのだ。愛
の犠牲として捧げることのできる生活はもう過ぎ去ってしまった。今はあの生活とこの生活
との間に、無限の深淵が横たわっている。』
0459吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/09(木) 22:29:26.39ID:Hcw2EUAl
アブラハムについての注記(前前スレよりコピペ)
-----------------------------------------------

ある金持ちがいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜい沢に遊び暮らしていた。ところが、
ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持ちの玄関の前にすわり、その
食卓から落ちる物で飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬が来て彼のでき物をなめていた。
この貧しい人がついに死に、御使い達に連れられてアブラハムのふところに送られた。

金持ちも死んで葬られた。そして黄泉(よみ)にいて苦しみながら、目を上げると、アブラハム
とその懐にいるラザロとが、はるかに見えた。

そこで彼は声を上げて言った、『父アブラハムよ、私を哀れんでください。ラザロをお遣わし
になって、その指先を水で濡らし、私の舌を冷やさせてください。私はこの火炎の中で苦しみ
もだえています』。
0460吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/09(木) 22:29:52.81ID:Hcw2EUAl
 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前良いものを受け、ラザロの
方は悪いものを受けた。しかし、今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。

そればかりか、私たちとあなたがたとの間には大きな深遠が置いてあって、こちらからあなた
方のほうへ渡ろうと思ってもできないし、そちらから私たちの方へ越えて来ることも出来ない』

そこで金持ちが言った、『父よ、ではお願いします。私の父の家へラザロをお遣わしください。
私に5人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告して頂き
たいのです』。

アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者がある。これに聞くが良かろう』。
金持ちが言った、『いいえ、父アブラハムよ、もし死人の中から誰かが兄弟達の所へ行ってく
れましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。

アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみ
がえって来る者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。

------------------------------------------------

これは紛れもなく、知っておいたほうがよい背景的知識であろう。
0461吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/09(木) 22:37:10.36ID:Hcw2EUAl
>>458
> 『今こそようやく分かった。たとえ今愛することを望んだところで、自分の愛には効果
> もなければ犠牲もない。

おれはこの言葉をささやき、叫びながら、きょう外を歩き走り、電車に乗っていたのだ。

「愛とは犠牲!」と自分に言い聞かせつつ。

おれが君らにずっと不満なのは、ドストエフスキーを哲学か教養として、覚めた距離から読んで、それで

読んだつもりになっていることだ。

おれら自身の日常ってのは、時に、カラマーゾフをも遥かに凌駕する劇的なものじゃないか?

>この幸福な生物は限りなく貴い賜物を 拒んで、尊重
することも愛好することも知らず、嘲笑の眼をもって眺めながら、最後まで無感覚
のままで押し通した。

これは君のことであり、悪いときの僕のことじゃないか?
0462吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/09(木) 22:44:48.12ID:Hcw2EUAl
まえにキリスト教を知らないでドストエフスキーを読めませんよ... フフw

とかホザイてたやつがいた。おれに言わせりゃ片腹痛い。

知的になんか理解したって、なんになるってんだ?

最初に読んだときの感動のままに、この老年近き今日まで、おれの内部にカラマーゾフの兄弟はある。

創価学会員として生きることがすなわち俺にとってのカラマーゾフだ。
0463吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/10(金) 01:17:07.96ID:wt8SlCXC
単純に知識を通して読まないと読み誤る、ってことじゃない
クセの強い本とか、そこら辺ドストエフスキーはかなり濃いからね
0464吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/10(金) 07:37:05.42ID:bVV6IjuF
>>463
こういう人が地上を去った時、富めるもの及びラザロに関する寓話に示されているように、
アブラハムの懐をも見るだろうし、アブラハムと物語をもするだろうし、天国を見かつ神の
もとへ赴くこともできよう。

いま自分の胸には、地上で蔑視した精神的愛の渇
望が炎のように燃え立っているけれども、それを癒やすための生きた水(即ち以前の実行的な
地上生活の賜物)を、ただの一滴でも持って来てくれるアブラハムはいないのだ。
==========================================================================
=======
今回のあたりですが、背景的知識がなくても、そこから受ける感動はいっしょじゃないです
か?
どうでしょう?

むしろ、聖書の、キリスト教信仰の香りも色も味わいも、ドストエフスキーの天才的筆致か
ら蘇ってきませんか?

> 単純に知識を通して読まないと読み誤る、ってことじゃない
> クセの強い本とか、そこら辺ドストエフスキーはかなり濃いからね

僕はぎゃくに感じる。余計な知識を通して読めば、読み誤る。

知識などあとからポツポツと自然に入ってくる。それさえ余計なくらいだろう。

彼らの読みなど、あてになる場合もあれば、まったく見当違いもあろう。というのは、バフ
チン?であろうが、小林英夫?であろうが「彼らの境涯」が入り込むからです。そうした後
代の解釈者・論者と、ド氏とどちらが上なの? 評論家にカラマーゾフや罪と罰が書ける
の? ゾシマやアレクセイを創造できるの?

ドストなかずく「カラマーゾフの兄弟」は真の古典ですから、若い人が、若い心のままに読
んで、強力な影響を受ける。聖書など遥かに凌駕した文学です。
0465吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/10(金) 07:38:31.36ID:hFPEvbaJ
>>463
こういう人が地上を去った時、富めるもの及びラザロに関する寓話に示されているように、
アブラハムの懐をも見るだろうし、アブラハムと物語をもするだろうし、天国を見かつ神の
もとへ赴くこともできよう。

いま自分の胸には、地上で蔑視した精神的愛の渇
望が炎のように燃え立っているけれども、それを癒やすための生きた水(即ち以前の実行的な
地上生活の賜物)を、ただの一滴でも持って来てくれるアブラハムはいないのだ。
------------------------------------------------------------------

今回のあたりですが、背景的知識がなくても、そこから受ける感動はいっしょじゃないです
か?
どうでしょう?

むしろ、聖書の、キリスト教信仰の香りも色も味わいも、ドストエフスキーの天才的筆致か
ら蘇ってきませんか?

> 単純に知識を通して読まないと読み誤る、ってことじゃない
> クセの強い本とか、そこら辺ドストエフスキーはかなり濃いからね

僕はぎゃくに感じる。余計な知識を通して読めば、読み誤る。

知識などあとからポツポツと自然に入ってくる。それさえ余計なくらいだろう。

彼らの読みなど、あてになる場合もあれば、まったく見当違いもあろう。というのは、バフ
チン?であろうが、小林英夫?であろうが「彼らの境涯」が入り込むからです。そうした後
代の解釈者・論者と、ド氏とどちらが上なの? 評論家にカラマーゾフや罪と罰が書ける
の? ゾシマやアレクセイを創造できるの?

ドストなかずく「カラマーゾフの兄弟」は真の古典ですから、若い人が、若い心のままに読
んで、強力な影響を受ける。聖書など遥かに凌駕した文学です。
0467吾輩は名無しである
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2019/05/10(金) 15:49:24.24ID:PUjFAZ7u
自分の意見は押し付けるけど、自分の知らない知識には嫉妬やっかみだけで全否定するのが創価学会
0468吾輩は名無しである
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2019/05/10(金) 20:24:44.56ID:bVV6IjuF
>>467
> 自分の意見は押し付けるけど、自分の知らない知識には嫉妬やっかみだけで全否定するのが創価学会

>聖書など遥かに凌駕した文学です。

は言いすぎですね。www 読んだこともないのに。でも、

>バフチン?であろうが、小林英夫?であろうが「彼らの境涯」が入り込むからです。そうした後
代の解釈者・論者と、ド氏とどちらが上なの? 評論家にカラマーゾフや罪と罰が書ける
の? ゾシマやアレクセイを創造できるの?

の問はどうですか? そのとおりじゃないですか?w
0469吾輩は名無しである
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2019/05/10(金) 21:47:29.24ID:bVV6IjuF
>>458
> 『今こそようやく分かった。たとえ今愛することを望んだところで、自分の愛には効果
> もなければ犠牲もない。
>
> 地上の生活はもはや終わったからである。いま自分の胸には、地上で蔑視した精神的愛の渇
> 望が炎のように燃え立っているけれども、それを癒やすための生きた水(即ち以前の実行的な
> 地上生活の賜物)を、ただの一滴でも持って来てくれるアブラハムはいないのだ。
>

=================================================================================

いま、生きている「この瞬間しかない」この瞬間しか「犠牲をはらう」ことも、「効果」もない。

> いま他人のために自分の命を喜んで捧げる覚悟はあっても、それはもはや不可能なのだ。愛
> の犠牲として捧げることのできる生活はもう過ぎ去ってしまった。今はあの生活とこの生活
> との間に、無限の深淵が横たわっている。』

いま他人のために自分の命を喜んで捧げる覚悟、つまり他人に「尽くそう」とする生命です。

それはいましかなく、別のとき別の場所ではない。
0470吾輩は名無しである
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2019/05/10(金) 21:51:15.62ID:bVV6IjuF
他人に尽くすためには、胃がキリキリ痛むような、ギリギリの神経戦になる場合もある。

そのままヘタってしまうかもしれない。自分が自殺してしまうかもしれない。

だがやるのだ。模範は周囲にたくさんいるではないか? .... これこそ宗教の本質です。これがないなら、

ただの観念論です。けっして人間的成長も、絶対的幸福もありえません。
0471吾輩は名無しである
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2019/05/10(金) 21:54:05.65ID:bVV6IjuF
よく地獄の火は物質的のものだと説く人がある。私はこういう神秘を究めようとは思わない。そのようなことをするのは恐ろしい。
(我)
神秘はわからないから、究めようとしない、そういう観念論はしりぞける―――それがゾシマの仰せだよ。

それは恐ろしいことであると、これを敬虔という。
0472吾輩は名無しである
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2019/05/10(金) 21:59:19.74ID:bVV6IjuF
>>470
わたしたち凡夫は弱い。逃げたくなる。深い悩みの深淵に囚われている青年と対峙することは。

だからこそ、チームでやる。学会も、このゾシマの教会も同じこと。お互いにはげまし合い、ときには

ライバルともなる。ゾシマひとりで、民衆の問題をかんがえるのではない。高僧たちも、アリョーシャも

そのことのために一致団結する。たとえば、ここにイヴァンカラマーゾフという貴族の青年がいる。

脳内に不幸な思想をやどしている。この青年を未来の不幸からいい方向へ向けるためには、どうするのか?と。

またここにひとりの農婦がいる。一人息子が急に手紙をいっさいよこさなくなった。母親は混乱し不安だ。

それは生活に暗い影を落とす。
0473吾輩は名無しである
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2019/05/10(金) 22:50:47.61ID:bVV6IjuF
しかし、かりにそれが物質的の火であるとすれば、そこに落ちた人々はかえって心から
それを喜んだに相違ない。

なぜなれば、余の考えでは、物質的な苦痛に紛れて、よしや 一ときであろうとも、さらに
恐ろしい心の悩みを忘れることができるからである。

しかし、この悩みは外部のものでなく内部のものであるから、全然とり去ってしまうことは
できない。もし取り去ることができたとしても、人々はこれがためいっそう不幸に陥ること
と思われる。

=================================================================================

物質的な苦痛よりも、「心の悩み」のほうが恐ろしいこと十字御書:日蓮。その「心の悩み」とは何か?

それが「地獄」であると。

 そもそも地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或
は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて
候。さもやをぼへ候事は、我等が心の内に父をあなづり、母ををろかにする人は地獄其の人
の心の内に候。

十字御書:日蓮
0474吾輩は名無しである
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2019/05/10(金) 22:52:23.34ID:bVV6IjuF
しかし、かりにそれが物質的の火であるとすれば、そこに落ちた人々はかえって心から
それを喜んだに相違ない。

なぜなれば、余の考えでは、物質的な苦痛に紛れて、よしや 一ときであろうとも、さらに
恐ろしい心の悩みを忘れることができるからである。

しかし、この悩みは外部のものでなく内部のものであるから、全然とり去ってしまうことは
できない。もし取り去ることができたとしても、人々はこれがためいっそう不幸に陥ること
と思われる。

=================================================================================

物質的な苦痛よりも、「心の悩み」のほうが恐ろしいこと。その「心の悩み」とは何か?

それが「地獄」であると。

 そもそも地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或
は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて
候。さもやをぼへ候事は、我等が心の内に父をあなづり、母ををろかにする人は地獄其の人
の心の内に候。

十字御書:日蓮
0475吾輩は名無しである
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2019/05/10(金) 23:54:43.21ID:PUjFAZ7u
今日もブツブツと独り言
本家地元で嫌われてるカルト宗教の本性がよくわかる
0476吾輩は名無しである
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2019/05/13(月) 02:17:15.14ID:O1EGvbiI
もうすぐ罪と罰の再読が終わる
見落としてい所が多々あって、誤読していた所も多かった
やっぱり再度は再読でメリットがあるね
それに自分の頭じゃあ難しい本は一回では読み解けないようだー
0477吾輩は名無しである
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2019/05/13(月) 07:55:42.83ID:mYGSU2fN
ソーニャの処女を買ったのはマルメラードフの上司
上司のおっさんは悪いと思って再就職を斡旋したけど
マルメラードフは気まずくて結局投げ出してしまうのであった

おお神よ、ザーメン
0478吾輩は名無しである
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2019/05/13(月) 20:04:09.55ID:LGaCP0gq
天国にある正しき人々が、その苦痛を見て彼らを赦し、

無限の愛をもって自分のそばへ呼び寄せるにしても、かえってそれがために ひとしお苦痛を増すことになる。
つまり彼らの心の中に、今はとうてい不可能な答礼と感謝の意を含んだ実行的の愛を呼び覚ますから
である。

とはいえ、私は臆病な心の底でこんなことを考えている。ほかでもない、こうした不可能の自覚
そのものが、最後には苦痛の軽減を助けるのではあるまいか。

そのわけは、正しき人々の愛を応酬の望みもなく受けた時、この従順と謙虚の行為の中に、地上において蔑視した実行的愛の片影といおうか、これと似よりの作用といおうか、とにかく、そうしたものを感得することができるからである...
0479吾輩は名無しである
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2019/05/13(月) 20:05:26.95ID:LGaCP0gq
...諸師よ、余はこれを明瞭に言い現わし得ないのを悲しむ。
0480吾輩は名無しである
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2019/05/13(月) 20:07:05.47ID:LGaCP0gq
しかし地上において我とわが身を滅ぼした者は気の毒である。まことに、自殺者は気の毒である!

これより不幸な者はほかにないと私は思う。彼らのために神に祈るのは罪悪であると人はいう。そうして、教会も表面的には彼らを破門するような具合である。

けれども私は心の奥で、彼らのためにも祈ることができると考えている。キリストも決して愛をとがめ
て、怒られるわけがないではないか。

私は自白するが、こういう人々のために一生涯、心の中で祈っていた、今でも毎日祈っている。
0481吾輩は名無しである
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2019/05/13(月) 20:18:04.87ID:LGaCP0gq
しかし、地獄の中にも傲慢、残忍を押し通した者もいる。否定することのできぬ真理を確知し、かつ認
識したにもかかわらず、サタンとその 倨傲な精神に結合しきった恐ろしい人間もいる。

こういう人達にとって地獄は、望むところでもあり、それでもまだものたりないところである。
彼らは好きでなった受難者である。

なぜならば、彼らは神と生を呪って、おのれ自身をのろったからである。

たとえば、砂漠で飢え渇いたものが、自分で自分の体から血を吸い始めるのと同じように、自分の毒に充ちた倨傲を 糧としている。
0482吾輩は名無しである
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2019/05/13(月) 20:22:04.03ID:LGaCP0gq
しかし、 永劫に飽満ということを知らぬ彼らは、 赦免を拒み、自分を招いてくれる神を呪うのである。

彼らは生ける神を憎悪の念なしに考えることができぬ。そうして生命の神のなからんことを願い、
神が自分と自分の創造物を減ぼすことを要求している。

こうして、永久に 瞋恚(しんに)のほむらの中に燃えながら、死と虚無を願うことであろう。しかし、その死はとうてい得られないのである......
0483吾輩は名無しである
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2019/05/13(月) 21:50:22.22ID:LGaCP0gq
アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフの手記はここで終わっている。この手記は不完全なしかも断
片的なものである。例えば伝記なども、長老の青春時代の初期に関するものばかりである。
0484吾輩は名無しである
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2019/05/13(月) 21:59:20.88ID:LGaCP0gq
彼の教訓や意見の中には、以前さまざまな機会にさまざまな動機によって述べたものが、一つの 纏ったもののような体裁で合併されたのもある。長老が臨終前、幾時間かにわたって説いた言葉は、正確に区分され
ていない。しかし、アレクセイが以前の教訓の中からここに併記したものを対照してみるならば、その
時の談話の気分も性質も理解することができよう。

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アレクセイは師の教えをかんぜんに血肉化していたのではあるまいか?
だから(A)(B)... と箇条書きに整理できた。
この仕事はアレクセイにしかできなかった。いちばん近くにおり、いちばん精神的に近かったから。

いや... むしろ彼は教えのエッセンスのさらにその奥を解していた。彼自体が、この信仰この思想の
体現者だった。
0485吾輩は名無しである
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2019/05/13(月) 22:05:04.99ID:LGaCP0gq
長老の逝去は実際突然であった。その夜、長老のもとに集まった人々は彼の死の近いことを十分悟
ってはいたが、それでもやはり、こうまで唐突に襲って来ようとは、とうてい予期することができなかった。
それどころか、前にもちょっと述べておいたように、同宿の人々はその晩長老が非常に元気でもあり口数
も多くなったのを見て、たとえ長くは続かないにもせよ、長老の健康が目に見えてよくなったことと信じていた。
後で人々が不思議そうに言い伝えたところによると、逝去のつい五分前まで、なに一つ予想がで
きなかったとのことである。突然、長老は激しい胸の痛みを感じたかのさまで、蒼い顔をしながら強く両
手で心臓を押さえた。

一同はそのとき席を立って彼の方へ飛んで行った。しかし彼は苦しみながらもや
はり微笑を浮かべて一同を見上げつつ、静かに肘椅子から床へすべり落ちて 跪いた。

うつ伏しに顔を土にすりつけて両手を広げ、歓喜の溢れるようなさまで、(たったいま人々に教えた通り)大地を接吻して祈祷をあげながら、静かに喜ばしげに魂を神へ捧げたのである。

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なんちゅう死に方や! みんなは、ここを読んでもなんにも感じないの... ?!!
0486吾輩は名無しである
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2019/05/13(月) 22:09:01.79ID:LGaCP0gq
苦しみながらもやはり微笑を浮かべて
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苦しむのは、肉体を捨てて、この地上を去るからです。

微笑を浮かべているのは、弟子たちに、周囲のものたちに、信仰の偉大さと、永遠の生命への確信と、

自分の人生が最高であったことの歓喜を示すためです。
0487吾輩は名無しである
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2019/05/13(月) 22:12:08.17ID:LGaCP0gq
ぼくはネトゲのあいまあいまに このカキコをしてる。

これぞ人生の真実です... w 人生とはかくも偉大にして卑小なんです
0488吾輩は名無しである
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2019/05/14(火) 00:20:27.31ID:YyWFQRq7
>>487
>人生とはかくも偉大にして卑小なんです
こういう背反のある考え方はドストエフスキーっぽいねw
0489吾輩は名無しである
垢版 |
2019/05/14(火) 01:33:24.93ID:YyWFQRq7
罪と罰読み終わった
今回はラスコリニコフよりスヴィドリガイロフになぜか惹かれるものがあった
読書はその時の自分の状態が結構影響するという事を実感させられる

薄暗い天井の低い部屋の中で目覚め、さあ永遠です、なんて言われたらどうする
だけどそれしか想像できない、といったスヴィドリガイロフがドゥーニャの愛か自殺という旅かに賭けるシーンはとても面白かった
0490吾輩は名無しである
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2019/05/14(火) 13:21:45.90ID:NAm7+Z3T
>>489
スヴィドリガイロフはまさに
>>481
>>482
で引用した
「永劫に飽満ということを知らぬ彼らは、 赦免を拒み、自分を招いてくれる神を呪う」そういう地獄の衆生ではないの? 解説して
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