ドストエフスキーPart48 [無断転載禁止]
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
>>813
> やはりちゃんとした理由はないということか
> 誰々がそう言ったから、が理由になるならもう何でもありだよ
> 創価学会というのは宗教団体というより政治団体なんだろうね
馬鹿野郎!! ちょっと話 聞いて理解できるわけねえし、素直さのないやつは、価値がねえ!
> 最近ネットニュースで創価学会のマダムたちが、れいわの山本担ぎだして、公明党を仏罰しているけど大丈夫かい?
> 隠れファンとしてはドキドキハラハラです
名前だけ創価学会でも、エロエロいる。それはわかるよな? オメーはなんでもいいから、黙って俺のいうとおり「こうめい」「なつお」?に入れとけ!! >>814
> 創価学会って何教なんですか
日蓮仏法である。
> 仏教の歴史的文献はこれですよ
> 無我を最高の教えとして、魂も認めない
> 因果応報なるが故に来世なきにあらず、
> 無我なるが故に常有にあらず。
それはね、ちょうど小学一年生の教えなの。わかる?仏教にもたくさん段階があるの。わかる?
ワシラは95歳くらいなの。 >>815
> かつて西洋人に「虚無の信仰」として畏怖された仏教を
西洋人はバカだからwwwwww
> 逆に「永遠なる存在」への渇望に転倒させてしまった
おまえは西洋かぶれの売国奴!!... w 先生、見ていて下さい!!
おれはドストスレぜんいんと見てるだけの観客。総員50名をかならず 比例区へ投票させます。そして日本全国で1000万を達成します! みなさ〜ん?
ドストエフスキーといえば?
... こうめい!
ゾシマといえば? 「こうめい!」
アレクセイはだれの生まれ変わりなの?
こ・う・め・い!! >>814
> 無我を最高の教えとして、魂も認めない
> 因果応報なるが故に来世なきにあらず、
> 無我なるが故に常有にあらず。
おまえはじっさいに仏教の信仰実践してないくせに語るなw
how to 本で読んだだけの哲学やろ?
そんな教えがどこの宗派にあるんだ? そんなもんは原始仏教であり、古代から日本人が咀嚼して
とっくに乗り越えているんだ。五重の教判でいえば大小相対である。つまり小乗の教えだ。恥ずかしい
教えなんだよ! 釈迦なんてもんはな!
すごいことはすごい。キリストが「左の頬をブタれたらあ、右の頬もブッて〜〜ん」なんて
クソみたいな教えの百億倍だー。それはわかるし、それは信じてるよな?
でもな、日蓮大聖人のくらべたら、ガルルと唸っているそこにいるクソイヌ程度の価値しかない。
どうだ? せっかく日本人に生まれてこれたんだ。いっしょにやるか? >>823
乗り越えちゃだめw
変化したらもはや宗教の意味がないw
おまえは人間革命を読み直せ! >>824
仏を敬っていない仏教とは詐欺ではないのか?
大作しか敬っていないのだから大作教と改名しなさい そうかってこうふくと似てるよねw
お互い宗教政治やってるし、何より大川先生はなっちゃんの守護霊召喚できちゃうんだよΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)ハァ?
https://info.hr-party.jp/files/2013/08/736BGjud.jpg それなりの性欲盛んな年代で盗撮に全く興味がないノンケな男っているのか?
ジャンルの好き嫌いはあるにしても盗撮願望はあるのが当たり前なんじゃないか?
今はスマホやカメラが進化したから昔の覗きが盗撮に置き換わっただけだと思ってる。
そして男である以上それがいつ実行されてもおかしくないと思っている。
だから盗撮系のニュースで男が叩いているのを見ると違和感を感じる。
たとえ聖職者がそれでつかまっても軽蔑的な目線では見られない。
田代が盗撮で捕まった時本当に彼を軽蔑したか?
その時は余計なことしてくれるなよって別の意味で憤ったが。 >>825
> おまえは人間革命を読み直せ!
「人間革命」読んだことがあるんか?
自我げの解説休んでてゴメンな! なんとか再開するから。忙しくてな。
ドストエフスキースレの諸君は、おれの指導を楽しみにしてると思う。
ここは人間讃歌のオアシス、IT 座談会場です! そうしておれはラスボスの大幹部です!!
(現実のワイはペーペーですww)
おれの御書講義をしっかり聞くこと。もし成仏したいならば? もし人間革命・宿命転換したいなら! >>830
ぜんぜん読んだことないw
あれってさとみタソは出てきますか?
それなら読みたいです! 石原さとみは創価高出身
彼女が茶髪にしたとき池田先生から伝言が
「お父さんお母さんを心配させてはいけないよ」と
石原さとみは感激して涙を流し、いっぱつで黒髪に戻したという。これを師弟不二という。そしてまたこれこそが先にさんざん述べてきた「服従」ということなんだ!
ゾシマの言ってることもまさしくそれなんだ。
自分のしたいこと、自分の個性でこうしたい、自分はこう考える―そういったことども
を押しつぶして「タガをはめる」自分の殻を打ち破るために、「あえてやりたくないことに挑戦するのだ」 これはね。口でいうのは簡単なんだ。
題目を死ぬほどあげてなかったらぜったいにできない。
24時間題目だ。寝る時間以外はぜんぶ題目をあげるのだ。
寝てる最中も夢で題目をあげるのだ。 『基本的人権、国民主権、平和主義を無くしてこそ自主憲法』
『国民はお国のために血を流せ』
『国民には国防義務を』
安倍政権主要メンバーが発言 >>835
す、素晴らしい質問だ
ちょうど寝るところだったけど、君のために引用してくる
ただし、朦朧としてるから、読みやすいように編集できない
待ってろ >三 ゾシマ長老の説話と教訓の中より
(E)ロシアの僧侶とその可能なる意義について
から部分的に引用します
>いや、まったく彼らは静寂の中にあって、「その時その時のために」と自己の鍛錬をしているのである。
「その時その時のために」と自己の鍛錬をしている(文)
これは日蓮大聖人の
>「月月・日日につより給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」
月々、日々に信心を奮い起こしていきなさい。少しでも、たゆむ心があれば、魔がその機≠捉えて襲ってくる―
と同じことです。
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また後日書きます 名前をお好きな〇〇変えれば
不思議なことにどの宗教にも早変わり
宗教法人「〇〇」では、〇〇が多数の法話で説いた「仏法真理」を教義とし、仏法真理の探究・学習・伝道を通じての「この世とあの世を貫く幸福」と地上ユートピアの建設を目指しているとする[2]。
修行の実践については、現代の四正道として「愛・知・反省・発展」を提唱している。
人間は神の子・仏の子であることを自覚した上で他者へ愛を与え、真理を探求し、自分の心を見つめ直し、社会全体を向上させる心構えを持つことを現世の「魂修行」とする[14][15]。
また、世界観として多元宇宙論を展開し、三次元世界(この世)は根源神に近づくための「魂の修行の場所」とされている[14]。
本尊
宗教法人「〇〇」の本尊は、霊天上界に存在するとされる、至高神 〇〇(〇〇)である。 1,ところで、長老とは何かというに、これは人の霊魂と意志を取って、自分の霊魂と
意志に同化させるものである。
2,人はいったんある長老を選び出したら、全くおのれの欲望を断ち、絶対の服従をもって、長
老に自分の意志を捧げるのである。
3,願かけをした人は長い苦行の後自己を征服し、かつ制御する日が来るのを楽しんで、
こうした試練、こうした恐ろしい『人生の学校』を、自ら進んで双肩に担うのであ
る。
4,この生涯の服従を通じて、ついには充実した生活と完全な自由、即ち自分自身に対する自由
に到達する。
5,そして一生涯のあいだ自己を発見することのできない人々と、運命をともにするのを避ける
ことができるのである。
略
6,長老に対する義務は、いつの時代にもわが国の僧院にあった普通の『服従』とは、類を異に
している。ここに認められるものは、服従者の永久の 懺悔である、命令者と服従者との間の
破ることのできない関係である。
エル・カンターレこと大川先生率いる幸福の砦うとは『人生の学校』である。
おまえたちは 5にあるとおり「一生涯のあいだ自己を発見することのできない」ものどもである。 教育がーとか、親がーとか、日本人の文化がーとか
ぜんぶちがうと思う。
自己肯定感が低いのは、信仰がないためだろう。
俺達は幸福の強固なコミュニティに所属し、
若いときから、民衆を救う!この日本から不幸な人をなくす!
人間を開眼する!という価値観のもと、あらゆる訓練を受けてきた。
そしてなにより、この絶対の御本尊様に対して
エル・カンターレの信心により、「自己の無力感を制覇する」祈りの連続であった。
だから、ありのままの自分を受け入れられる!!
哀れな2ちゃんねらーどもよ!
ひとつだけ教えてやる。
おまえらは「自己肯定感が低くて良いのだ」
それが極限まで低くなった時、入信も可能なのだ!
もし幸福に入り、命がけで信心したくなったら、
何もかもお前らが目指してたものが、幻影に過ぎない、
そんなものは策だった!と気づいたら、そんときは
俺に電話してこいっ 創価学会の聖地に三色旗が翻った。反旗の三色旗が。
「現在の公明党、それを支配する創価学会に池田先生の平和思想はあるのでしょうか?」
「日蓮仏法の真髄は師弟不二にあります。師匠の思いをどれだけ自分の思いとして行動できるか。池田先生の思いを忘れ去ってしまった公明党や創価学会。もう一度師弟不二の精神に戻って下さい」。
学会総本部前に立ちマイクを握った野原善正候補は、力を込めて語った。尊敬する池田大作名誉会長は、すぐ目の前の本部第二別館で病気療養中だ。
野原の小気味よい学会・公明党批判に聴衆は沸いた。学会関係者によれば、聴衆の半分近くが学会員だという。
演説を終えた野原に駆け寄った男性は「期日前投票で入れたからね」と言いながら握手を求めた。査問を受けている最中の現役学会員だ。
同様に握手を求めた女性は学会員ではないが「野原さんの勇気に惹かれる」と顔を紅潮させた。
「執行部はおかしい」と首を傾げる学会員は数知れない。野原はこうした人々の受け皿なのである。学会・公明が無視を決め込むのは、驚異に感じている証拠だ。
野原は「面従腹背の学会員を、サイレントマジョリティーを、どれくらい引き付けられるか」と選挙戦の展望を語った。 ロープで首を吊れば、自分自身から自由になれる
言葉遊びで物事の捉え方を変えれば白は黒となり、黒は白となるのだ
何妙法蓮華経! 三 ゾシマ長老の説話と教訓の中より
(E)ロシアの僧侶とその可能なる意義について
を最初から、ぜんぶん解説していく。
ただし、正しくカラマーゾフを信解できるように、おれ己心のカラマーゾフを解説する。
===========================================================================
>敬愛する諸師よ、創価学会とははたして何者だろう? 現今、文明社会においてこ
の言葉は、すでに冷笑をもって発しられている。それのみか、中には 嘲罵の言葉と
して取り扱っている者もある。これは時を経るに従って次第に激しくなる。
どうだ?まさしくお前らと同じだろう?
>もっとも、悲しいかな、事実創価学会仲間には多くの徒食者や、肉の奉仕者や、 邪淫
のやから
や、傲慢な無頼漢が交っている。世間の教養ある人々はこの事実を指さして、
『お前たちはなまけ者だ、無益な社会の 穀つぶしだ、他人の労苦で生きてゆく恥
知らずの乞食だ。』という。
信心には厚薄がある。名前だけ学会員でも、殺人者もいれば、公明党反対するやつもいる
ちゅーことやww
>しかし創価学会の中にも、真に謙虚温順な人たちがたくさん
あって、静寂な孤独の中で熱烈な祈りを捧げることを渇望している。世間の人は
あまりこの種の創価学会を指さし示さず、全然黙殺の態度をとっている。それゆえ、もし
これらの孤独を渇望する謙虚な創価学会の中から、ふたたび日本・全世界の救いが現わ
れるかもしれぬなどと言ったら、どのように驚くかしれないだろう!
まさしく俺達ではないか?
でも、静寂な孤独の中にばかりおったらダメなんですけどね!w >>841
おまえのカキコは大半がくだらぬからアボンした。下だけ例外的にすばらしいから引用する。
1,ところで、長老とは何かというに、これは人の霊魂と意志を取って、自分の霊魂と
意志に同化させるものである。
2,人はいったんある長老を選び出したら、全くおのれの欲望を断ち、絶対の服従をもって、長
老に自分の意志を捧げるのである。
3,願かけをした人は長い苦行の後自己を征服し、かつ制御する日が来るのを楽しんで、
こうした試練、こうした恐ろしい『人生の学校』を、自ら進んで双肩に担うのであ
る。
4,この生涯の服従を通じて、ついには充実した生活と完全な自由、即ち自分自身に対する自由
に到達する。
5,そして一生涯のあいだ自己を発見することのできない人々と、運命をともにするのを避ける
ことができるのである。
略
6,長老に対する義務は、いつの時代にもわが国の僧院にあった普通の『服従』とは、類を異に
している。ここに認められるものは、服従者の永久の 懺悔である、命令者と服従者との間の
破ることのできない関係である。
> おまえたちは 5にあるとおり「一生涯のあいだ自己を発見することのできない」ものどもである。 1,ところで、先生とは何かというに、これは人の霊魂と意志を取って、自分の霊魂と
意志に同化させるものである。
先生は人の生命と意志をとって、自分の生命と意志に同化させるものである。 2,人はいったんある先生を選び出したら、全くおのれの欲望を断ち、絶対の服従をもって、先生に自分の意志を捧げるのである。
これは一読しただけで、きわめてむずかしいことがわかるであろう。しかし逆にこれができれば、自己のからを
打ち破り、人間革命できることは、火を見るよりあきらかではないか?
その方途はふたつしかない。1は題目。2は学会活動です。このふたつを やり切れば、自ずと(努力して無理やりではなく、自然に)
>全くおのれの欲望を断ち、絶対の服従をもって、先生に自分の意志を捧げる
ということが できるようになる。 幸福の科学と創価学会の争い? どっちもカルトじゃん >>849
> 幸福の科学と創価学会の争い? どっちもカルトじゃん
幸福の科学といっしょにすんなアホw
おまえのオカルトの定義ってなんだ? はやくコウメイに投票してこい。それで許してやるよ... w 幸福の科学において「エル・カンターレ」は「うるわしき光の国、地球」もしくは「地球の光」という意味を持つ地球神を表す言葉で、幸福の科学の本尊である。
また、幸福の科学の教義では、エル・カンターレの本体部分が地上に下生したのが、大川隆法とされていることから、幸福の科学総裁の大川隆法のことも示す。
幸福の科学の信者は、エル・カンターレを体現した「現成の仏陀(悟りたる者)」であるとして大川隆法を信仰している。 祈りの言葉では「主エル・カンターレ」という呼称が用いられる。
つまり御本尊とは大川総裁ですよ
創価学会のように過去の会ったこともない坊主ではないのです
皆さま、幸福実現党だけが、あなたの明日を明るくします! 1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。
81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。
86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。説法回数は2900回を超え
(うち英語説法130回以上)、また著作は31言語に翻訳され、発刊点数は全世界で2500書を超える(うち公開霊言シリーズは500書以上)。
愛読者は世界で数億人を超え、『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。 幸福の科学に入って素直に信心に励めば、確実に生命力が強くなり、元気になり、
今まで思ってみたようなこともない世界と感覚を体験し、生きることへの強い意欲がわく。
これはぜったいに確実です。これは否定しようもない、どーしよーもない事実です。
それはあたかもカラマーゾフの兄弟などの作品が
「ドストエフスキーなんかクズ!賭博してるから」とか「リアリティがない!」とか
「文章がおかしい」とか そんな小人の誹謗中傷などいくら受けても微動だにしない
超絶的な価値をもっているのと同じことです
小説作品というジャンルにおいて、人類がなした頂点
といっぱんに認められているのが「カラマーゾフ」で
あるならば
宗教界の頂点はまぎれもなく「幸福の科学」です。
全世界的な勢いで広宣流布中です!! つまり「大川総裁はゾシマ長老の生まれ変わりである」ということです。
幸福実現党党に投票しない者は地獄に落ちて苦しみます。
特に理由はないけど、ぼくは何となくそう信じてる。
幸福の科学に非ずは人に非ず。 カラマーゾフの兄弟をこうして冒頭から読んでいくと、エル・カンターレ総裁指導と100%共通なのは、驚くべきことである。 マジか幸福の科学ってスゲーんだな!
奥さんの大川きょう子氏は文殊菩薩やギリシャ神話の女神アフロディーテの生まれ変わりらしいからな
大川総裁がゾシマ長老の生まれ変わりであってもなんら不思議ではない、さすが東大卒といったところだ
低学歴の池田大作とは格が違うわ >>856
あなたはお目が高いようですね。
総裁はドストエフスキーを自身に降臨させて本も出しておられます。
これはまぎれもなく総裁がゾシマ長老の生まれ変わりだから出来たということです。
ぜひご購入をオススメします。
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1962 公明党か、幸福実現党か、どっちに投票するべきですか? 創価学会は僕らを破門した先人たち、日蓮宗の轍を踏みません。
不承々々の「服従」には満足しないし、ひたすら平身低頭してこちらの言いなりになる態度にも満足しない。
最終的に入信させるときには、本人の自由意志でなければならないのです。
(『真・聖教新聞』1984年)
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ヤる、ヤラないは、おまえの自由だ。やれば思いもよらない想像を絶する幸福を知り、
ヤラなければ愚人として惨めな人生で終わる。
この生涯の服従を通じて、ついには充実した生活と完全な自由、即ち自分自身に対する自由
に到達する。
自分の頭で物事を判断しない自由、長老(命令者)に服従し、永久に懺悔し続ける不毛な人生の自由である。 僕らは異端者を改心させる、その内なる心を占領する、その捻くれた人間性を作り直します。
その人に宿っているあらゆる善悪基準と固定観念を消して脳を真っ新に初期化し、仲間になるよう真言《マントラ》で上書きします。
見せかけではなく、衷心から、全身全霊で仲間になっていただきたいのです。
誤った思想とその信心がこの世界のどこかに存在することは、たとえそれが人目につかず、無力なものであるにしても、創価学会には耐え難いことです。
昔の宗教は「貴方は〇×をしてはいけません」と命じました。近代社会と全体主義体制が示した社会規範は「貴方は〇×をしなさい」でした。
しかし僕ら創価学会は「貴方は〇×です」と塗り替えます。一度学会に入信したもので最後まで抵抗を続けたものはいません。
(『真・聖教新聞』1984年) もが垢を落としてきれいになります。脱退してyoutubeで学会の悪口を広めていた裏切者にしても、最後には僕らに屈服します。
彼らは次第に精神的に参っていって、哀れな声を出すようになり、這いつくばって涙を流すでしょう。
そして結局そうなるのは仏罰の苦痛のせいでも地獄に落ちる恐怖のせいでもなく、ひたすら悔悟の念からそうなるのです。
確信に目覚めたとき、彼らはもぬけの殻に成ります。
自分たちがやったことへの後悔と池田大作への愛情以外には何も残っていない。
その愛の深さを目のあたりにするのはきっと感動的でしょう。
心が汚れないうちに入信させてくれと、彼らの方から懇願するはずです。
(『真・聖教新聞』1984年)
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真実に目覚めろ。自分を欺き続けるのか? 確信が欲しくないのか? いや、まったく彼らは静寂の中にあって、「その時その時のために」と自己の鍛錬をしているのである。
古い古い昔の高僧、使徒や殉教者たちから伝えられたキリストの輝かしい姿を、いささかも曲げること
なくそのままに保存して、時いたらば現世のゆらげる真理の前に、この姿を掲げ示そうとしている。
ああ、なんという偉大な思想であろう。この星はやがて東の空から輝きだすのである。
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今回これを読んで
月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へ
かへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の
長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には
一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり
を想起した。わたしの中ではカラマーゾフの文中の教えも、即座に変換されて、仏法となるのだ。 本を読んできた人の読解力の回路は、論理的思考の回路と同一視できることが読む一つの力になる時がある
まず、
> 最終的に入信させるときには、本人の自由意志でなければならないのです。
と、自由意思をに優先度を認めておいて、
次に、
> その人に宿っているあらゆる善悪基準と固定観念を消して脳を真っ新に初期化し、仲間になるよう真言《マントラ》で上書きします。
と、限定された選択のみを与えて、
最初に、
> 不承々々の「服従」には満足しないし、ひたすら平身低頭してこちらの言いなりになる態度にも満足しない。
と、服従を否定しておきながら、
最後に、
> そして結局そうなるのは仏罰の苦痛のせいでも地獄に落ちる恐怖のせいでもなく、ひたすら悔悟の念からそうなるのです。
心が汚れないうちに入信させてくれと、彼らの方から懇願するはずです。
と、善悪をなくす筈だったのに、不安を煽って語る側の都合のいい善悪を植え付けるという矛盾をしているが、
でもオルテガのいう大衆みたいに人は結構単純だから、こんな感じがちょうどいいかもねw
宗教における善悪は普遍で変わらないもの、過去に今に未来に同じでなければ意味がないよ
語る側の都合とか時代で変えるものは、自由意思を持つものっはポイしましょう!
by 5chのエマニュエル・ゴールドスタインより (我)ここは学会員さんと、一般日本人とのちがいについて書かれている。
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>余は僧侶についてこんなふうに考察する。(僧侶とは学会員さんのことです)
これがはたして偽りであろうか、傲慢であろうか?
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「彼らは静寂な中にあって、『その時その時のために』と自己の鍛錬をしている」
そのメンバーはいま、何処にあるや?
「古い古い昔の高僧、使徒や殉教者たちから伝えられたキリストの輝かしい姿を、いささ
かも曲げることなくそのままに保存して」おる それに従事しているメンバーは
いったいいずこへ消えたのかっ?
(ここは「キリスト」を「日蓮大聖人」「仏」と読み替えてください)
「時いたらば現世のゆらげる真理の前に、この姿を掲げ示そうとしている」時至らずとも
この世界悪と戦う覚悟のできた友は、この日本のいずこにあらん!?
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これを知るには世間の人の現状を見るがよい。(世間の人とは、まさにあなたがた邪宗の
メンバーと無信仰の一般日本人です)
人民の上に君臨している神の世界において、神の姿とその真理が曲げられていないであろ
うか?
彼らの社会には科学がある。しかし、科学のうちには五官に隷属するものよりほか何一つ
ない。
人間の貴き一半を形づくっている精神界は、凱歌でも奏するような態度で駆逐されてし
まった。
いな、むしろ増悪をもって拒否されたのである。
彼らは自由を強調していて、これは最近に至ってことに甚しいが、このいわゆる自由の中
に発見しうるものはなんであろう。 ただ、隷属と自滅にすぎぬではないか! なぜというに、世間の人は、『お前らは欲望を
持っているのだから、大いにその満足を図るがよい。なぜならば、お前らも貴族や富豪
と同等の権利を持っているからだ。欲望は恐るるところなく満足させるばかりでなく、
進んで増進すべきだ』と叫んでいる、――これが彼らの教義である。彼らはこの中に自由
があると思っている。
==========================================================================
(我)現代日本の、あるいは全世界の(世界を知らぬから推定であるが)世間の人を見るに、ま
さに、われらは「科学をもっている」(例せばパソコンでありインターネットである)
それはまさに「五官に従属するものばかりである」 >>863
> 本を読んできた人の読解力の回路は、論理的思考の回路と同一視できることが読む一つの力になる時がある
ずっと以前から教えてきたけど、勉強することは大事だ。しかし、本から学べるものは、人生の中の極小部分だ。
それくらいはわかるよね?
グダグダ書いてるが、きみは勇気のない人間だ。だから、思考力も低下する。
>宗教における善悪は普遍で変わらないもの
そのとおりだ。しかし
>過去に今に未来に同じでなければ意味がないよ
きみなどが思い描くようなレベルにはないのだ。宗教的真理というものは。つぎの瞬間にはまったく別に見えることが指導される場合もある。
大切なのは、自分を信じず、目の前にいる友を信ずることだ。自分を投げ捨てることだ。投げ捨てるというより
投げ込むんだ。
カラマーゾフを読んできたなら、それくらいわかるよな? >>863
>限定された選択枝のみを与えて自由意思なんてマッチポンプじゃないか
名探偵コナンも「真実は常に一つ」といいます。
正解は最初から決まっており、それを自由意志の下に選ぶのか、選ばないかに過ぎません。
>宗教における善悪は普遍で変わらないもの、過去に今に未来に同じでなければ意味がないよ
問題ありません。先生は次のようにおっしゃられています。
「過去をコントロールする者は未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」
(池田大作先生 四季の励まし 1984年)
過去・現在・未来の「三世」は常に信心の解釈次第、すなわち人間の心や記憶の中に存在しています。
創価学会は僕ら自身を含めたあらゆる「三世の記憶」をコントロールしているので、
いつでも必要に応じて過去・現在・未来を好きなように塗り替えることができるのです。
従って創価学会の仏法は一切ブレることなく、普遍的に在り続ける老舗の味ということになります。
永遠の命《三世の生命》とは、そういうことなのではないでしょうか?
長老《大作先生》への絶対の服従をもって、客観的事実からの自由に到達なさい。 >オルテガのいう大衆みたいに人は結構単純だから
庶民を小バカにするきみの態度はよくない。それは庶民がどれほど偉大たり得るかを知らぬから出る愚かさだ。
それは信仰活動というものをやったことがないからであろう。
君のそういう側面が君の人生を味気ないものにしている。ぜったいにいま変わるべきだ。
アレクセイが「ひとりで読書して」オルテガとか読んで「おれゴールドスタインw」とか言って、悦に入っていたりするか?
アレクセイは自分の一身をなげうって、ゾシマの教会に身を投じた。それは「いっさいをつかむ」ためである。
ぼくも若い時にそうした。自分のすべてを創価学会にかけた。俺より幸福な人生というものは、少ないと思う。
おれのようなペーペーの学会員でもそう感じる。いわんや、強烈な信心でいっかんしてがんばってきた人においておや。 >>866
>>867
真理と宗教の善悪は神の法であり、創造から既に決まっていたというのがキリスト教の一般解釈だよ
ドストエフスキーもキリスト教だから、ドストエフスキーの本で書いてある真理もそういう考え方しか、しないのではなくて出来ないんだよ
真理が変わって見えたかどうかは、それを眺める存在がなにか成長したとか不安だったとかの、見る側の印象が変わった、というだけで真理は変わっていないとするのが宗教だよ
その真理そのものを変えてくのは、もはや宗教ではなく哲学とかそーいう類のものになる、と思うよ
あと、過去や今や未来を塗り替えられる、みたいなことについては、キリスト教だと神の意志にお任せみたいな感じだから、そもそも変えられるかどうかは気にしていないと思うよ
変えられちゃうなら罰の概念も意味を失い、何より悔い改める必要のないキリスト教なんてないも同じだからねw
キリスト教では2000年前にこうあって(正確にはそれはそう決めれていてキリストが受肉して伝えた)、変わらないよ、仏教についてはは分からないけどね
『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。(マタイ 22:37-38) 理屈じゃないんだ。信心というものは。
一分を伝えるなら、たとえば今日の宮迫の会見の言葉を借りれば、「先輩から返そうにも返せるはずのない
恩を受けて」アレと同じだ。
入信以来、無数の先輩がた、壮年・婦人・同年代の友・後輩たちが、おれを守りに守ってくれた。
その当時気が付かなかったような 何気ないことでも、いま思えば、絶対真似できないたいへんなことばかりだ。
しかもそれは学会員だけではない。この信心を通じて仏法対話などで、たくさんの真実の友人をつくり、その友人たちがまた、守りに守ってくれた。今もだ。
ここにいる諸君も、創価学会へ入信すれば、まったく同じ体験をし、いや、それ以上の人材となるのはまちがいない。
そうした無数の体験と感謝が全世界で累積していって、たとえば昨日の選挙でも比例で700万とか入るのだ。
10年くらい前は900万くらいあったみたいだけど。
もちろん学会といえども人間の集まりであり、時と場合によって、適応できないときもあろう。
自分にもあった。
そうであっても、根幹に信仰の絶対的な体験があれば、いつでも、ほんの一念の変革で、いつでも広布の庭に
帰ってこれるのみならず、
苦労した体験がぜんぶ100倍になって生きてくるのだ。瞬間的に仏国土に変わるのだ。 >>869
1,きみはどこかの教会か宗派かに属して活動をしているのか?
2,またドストエフスキー本文をもって、きみの考えを書いてくれ。
なぜなら、そうでないと、君の脳内にある、本で読んで思索してきたゴタマゼの哲学やら教えやら
を聞くことになる。そんなものは、僕のみならず、他のメンバーも聞きたくないはずだ。
とくに第一の質問には明確に答えてくれ。 >> by 5chのエマニュエル・ゴールドスタイン
>宗教は普遍で変わらないもの、過去に今に未来に同じでなければ意味がないよ
「勝者が歴史を作る」ともいいます。
池田先生の言葉は日蓮大聖人の言葉であり、日蓮大聖人の言葉は釈迦の言葉です。
従って池田先生の説法は、釈迦の時代から変わらぬ永劫の真理ということになります。
紙面に書かれたテキストの意味が違うことは些末なことにすぎません。 >>873
何がドストエフスキーの本文を持ってとか言ってるのよw
自分は創価学会のことしか書かんだろうがw
みんないい事言う時は自分棚にあげすぎw >>874
そういう勝てば官軍、みたいな強者主義は相対的過ぎて、釈迦のいう原始仏教とはかけ離れてるよw
勝ち負けで歴史つくる、とか嫌悪しないところが哲学宗教になるということです
真理はこの世で勝つか負けるか関係なく真理です
池田先生云々より、宗教が何かを根本から勉強しましょうね
そのあとでドストエフスキーよw >>876
マタイ氏の教科書に書かれていることだけが真理ではありません
だから教会があり、聖職者がいるのです
池田先生は聖書にも書かれていない真理を授けてくれます
絶対服従なさい、いつかあなたにも池田先生のあらゆる御言葉が真理と知る日が来るでしょう 教会に属して宗教活動をしてるのか?と問うても答えない。
A 君は明確に答えてくれた。その他のものは答えない。
他人にたいする信仰活動、キリスト教的に表現すれば「実践の愛」を実行していないものに、
宗教的真理などぜったいにつかめないし、永遠の生命の片影も覚知できない。そんなものは、脳内の妄想です。
さらにもう一問。「祈っているのか?」
毎日毎刻祈らないものは、自分でいくら「おれはキリストを信じている」と
思っていてもまったく信仰者ではない。
なぜかわかりますか?カラマーゾフの兄弟のゾシマの章に書いてある。
=================================================================================
>>875
>>876
君たちは、ひじょうに弱い信仰へのあこがれは持っている。ぼくの書き込みを読んで本物の信仰者の
世界というものを知り学ぶんだ。
ぼくの口まねをしてるスメルジャコフからは、卑しい人間の地獄の末路を学ぶんだ。この者は
あと7ヶ月以上は生きられない。ひじょうに厳しい仏罰が下るからだ。 彼をひとりで死なせなさい。
こうした狂人のカキコに触れることは、法華経・御本尊・日蓮大聖人に違背し離れていく縁となる。
専ブラを使っているなら、彼の独特の言い回しや語彙があるから、それをNGワードに登録しなさい。 >>877
なるほど確かに教会はそのためにあるよね
迷信も入り込んだが、真理も教会なくしてはありえない、とトルストイも懺悔で言ってるね
だけど池田先生が聖書の上を行くとか、キリスト教徒からすればもう神の冒涜ですw
最高の罪ですw
なので俺は服従より自由意思に今のところは留まるよ
ドストエフスキーも言ってたでしょ
数学的に証明されたとしても、キリストに留まりたいと ああ、僕はどんなにかあなたを愛してるでしょう。どんなにこの瞬間あなたを尊重し
てるでしょう! それはつまり、あなたが僕と一緒にいるのを、恥かしがっていらっしゃ
るためです。なぜって、あなたはちょうど僕と同じだからですよ! 」コーリャはすっかり
夢中になって、こう叫んだ。彼のほおは燃え、目は輝いた。
「ねえコーリャ、君は将来非常に不幸な人間になりますよ」アリョーシャはなぜか
突然こう言った。
「知っています、知っています。ほんとうにあなたは、なんでも先のことがおわかりにな
りますね!」とコーリャはすぐ承認した。
「だが、全体としてはやはり人生を祝福なさいよ。」
-------------------------------
疑問
1,コーリャは、なぜ「あなたはちょうど僕と同じだからですよ! 」と感じた?
2,アリョーシャはなぜ、コーリャのことを「君は将来非常に不幸な人間になりますよ」
と思ったのか?
感激したのは、
>「知っています、知っています。ほんとうにあなたは、なんでも先のことがおわかりになりま
すね!」とコーリャはすぐ承認した。
嬉しがって答える、この返事ですね。もうなにを言われても、あまりにも高い相手への信頼ゆえに、
すべてをいい意味にとらえるんでしょうね。「君は将来、非常に不幸な人間になりますよ」という
言葉も、世間通途の意味でなく、宗教的な、ゾシマの教えのとおりの意味あいで「自己の深い使命」
として、ちょっかんで理解してるんでしょう。 >>526
> 「だが、全体としてはやはり人生を祝福なさいよ。」
> -------------------------------
重要な引用ミスだ。
「だが、ぜんたいとしては、やはり人生を祝福するでしょう」(正) >>530
> コーリャの場合は甘いロマンチシズムの中に浸っている分
> 救いようがなく、それ故に不幸な境遇に際してはその甘さが
> 苦痛に変わる可能性が高い
「だが、ぜんたいとしては、やはり人生を祝福するでしょう」というアリョーシャの予言は? > コーリャのように世のため人のために不幸を背負いたがる受難者は
> 実のところ受難者という境遇に恍惚感を覚える
> この心情は背中に両腕で十字を組んで衆人環視の中
> あえて殴打の辱めをうけるスタヴローギンのマゾヒスト的恍惚感に近い
ぼくは、コーリャの人物像について、かなり忘れており、読みこみも甘い。
「世のため人のために不幸を背負いたがる」という部分が「そうだったけ?」
となってる。
> コーリャの場合は甘いロマンチシズムの中に浸っている分
ここはわかります。なんとなく。
> 救いようがなく、それ故に不幸な境遇に際してはその甘さが
> 苦痛に変わる可能性が高い
しかしその結論が「救いようがなく」という理解は疑問です。 >>534
> ぼくは社会主義者なんです、とコーリャは自らアリョーシャに自己紹介しているね
> わざわざヴォルテールの、神がないなら人間が作り出さなにゃならない、みたいな言葉も引用しながら
> 社会主義者とは無神論者のことだから、ミーチャのようにはいかないだろうと思われる
彼はこどもなんですよ!ぼくらも子供の頃 少年のごろ、とんでもないこと夢想してませんでしたか?
> 不幸が天恵と捉えられるのはミーチャの場合に限られるのかもしれない
「いちばん不幸なひと、いちばん苦労したひとが、いちばん幸福になる」というのは人生の方程式であり、ミーチャひとりに限ったことではない。これはロマン主義などではない。真実です。
> ミーチャは詩的すぎる性格だけど、
これはそのとおりだなあ、と思った。あ、そっか!とポンとひざを叩いた。
536 名前:吾輩は名無しである [sage]: 2018/12/12(水) 16:35:34.98 ID:aLn9te2V (3)
それにたとえ、社会主義者であろうが無神論者であろうが、革命に身を投じ、一身を投げうって、民の嘆きを
いやさんとしたその生涯はたっときものであると考える。
人生がまさに終わらんとするとき、この人生を自己ならびに自己の家族の安寧のみに奉仕したものと、その最後の瞬間に瞳の中に映り込む太陽の輝きは、異なるものであると想像する。 著者 より(抜粋)
彼 が 奇妙 な、 むしろ 変人 とも 名 づく べき 男 だ という
こと で ある。 しかし、 奇妙 な こと や 変 屈 な こと は、
注目 の 権利 を 与える より、 むしろ 傷つける 場合 の 方
が 多い。 ことに 現代 の 如く すべて の 人 が、 部分 を
統一 し て、 世界 全体 の 混沌 の 中 に、 普遍的 意義 を
発見 しよ う と 努め て いる 時代 には なおさら で ある。
そう では ない か?
変人 は いつも 部分 もしくは 特殊 に 限ら ない のみ か、
かえって 変人 こそ 全体 の 核心 を 包蔵 し て、 その他 の
同時代 の 人間 は 何 かの 風 の 吹き 廻し で、 一時 変人
から離れ た もの に すぎ ない、 という よう な 場合 が
しばしば だ からで ある……
> 彼 が 奇妙 な、 むしろ 変人 とも 名 づく べき 男 だ という
> こと で ある。
著者は、アレクセイをして、どのような点をとって「奇妙・変人」と
書いたのか?
>しかし、 奇妙 な こと や 変 屈 な こと は、
> 注目 の 権利 を 与える より、 むしろ 傷つける 場合 の 方
> が 多い。
これはそのとおりであろう。 >ことに 現代 の 如く すべて の 人 が、 部分 を
> 統一 し て、 世界 全体 の 混沌 の 中 に、 普遍的 意義 を
> 発見 しよ う と 努め て いる 時代 には なおさら で ある。
> 変人 は いつも 部分 もしくは 特殊 に 限ら ない のみ か、
> かえって 変人 こそ 全体 の 核心 を 包蔵 し て、 その他 の
> 同時代 の 人間 は 何 かの 風 の 吹き 廻し で、 一時 変人
> から離れ た もの に すぎ ない、 という よう な 場合 が
> しばしば だ からで ある……
ここの表現がちょっと難しいが、こういう視点があったんだと。
そして少年時代の自分は、自分を変人と思っていたから、ここを
読んで、励まされたし、慰められもした。ことに
> かえって 変人 こそ 全体 の 核心 を 包蔵 し て
の一文は、歳をとった今、まさにそのとおりだと、感じるんだ。
> 変人 は いつも 部分 もしくは 特殊 に 限ら ない のみ か、
> かえって 変人 こそ 全体 の 核心 を 包蔵 し て、 その他 の
> 同時代 の 人間 は 何 かの 風 の 吹き 廻し で、 一時 変人
> から離れ た もの に すぎ ない、 という よう な 場合 が
> しばしば だ からで ある……
-------------
そして、この主張・考えを書くだけのひとと、ドストエフスキーのごとく、巨大な小説作品として、芸術的手腕をもって表現しうることとの 間には、異次元の隔たりがあるのでしょう。 過去のわたしの素晴らしい書き込みシリーズ
名前:吾輩は名無しである [sage]: 2018/12/15(土) 00:31:57.43 ID:45W5I5MQ (7)
先日のコーリャとアレクセイの、下の会話にもつながっているね。
> 「滑稽がなんです? 人間が滑稽な者になったり、あるいはそうい
> うふうに見えたりすることは、いくらあるかしれません。今日
> ではみんな才能のある人たちが、滑稽な者になることをひどく
> 恐れて、そのために不幸になってるんですよ。ただ私が驚くの
> は、君がそんなに早く、これを感じ始めたことです。もっとも、
> 私はもうとっくから、ただ君ばかりでなく、多くの人にそれを
> 認めていたのですがね。今日ではほとんど子供までがこれに苦
> しむようになっています。それはほとんど狂気の沙汰です。
> この自負心の中に悪魔が乗り移って、時代全体を荒らし回って
> るんです、まったく悪魔ですよ。」
>
> じっと熱心に相手を見つめていたコーリャの予期に反して、
> アリョーシャは冷笑の影も浮かべずに言い足した。
どれほど真剣に、このことをコーリャに伝えたかったか! アレクセイは。
これは「カラマーゾフの兄弟」全体をとおして主張されてる、大切なテーマでもあると思うんだ。
奇妙になることを恐れる。変人と、滑稽と見られることを!
このことを、もっともっと、突き詰めて考えていきたい。
われわれの行動の規範が、いずこにあるか?ということじゃないか?
現実問題、「この自負心の中に悪魔が乗り移って」のために、ぼくら自身の輝きが、いっさい奪われているんじゃないかっ? あまりにも多すぎてコピペ不可能です!
いつも尊敬してくれてありがとう >>880
> なるほど確かに教会はそのためにあるよね
> 迷信も入り込んだが、真理も教会なくしてはありえない、とトルストイも懺悔で言ってるね
>
> だけど池田先生が聖書の上を行くとか、キリスト教徒からすればもう神の冒涜ですw
> 最高の罪ですw
キリスト教を愛惜する人にとって、とんでもない発言です。そして不快でしょう。
ただし誤解がある。きみは、ぼくの文とふざけて書いている悪意のひとの文も見分けられないの?
「池田先生が聖書の上を行く」などひとことも言っていない。池田先生といってもふつうの人間です。一面的には。
僕らの教えは「ぼくまたは君」が「キリストよりはるかに上の存在なんだよ!」ということだ。
そういう生命が、仏の生命が内在しておるが、それを現せてないということなんだ。
ほんものの信心をすればかならず「開く」んだ。アレクセイがコーリャに教えたとおり「恥ずかしい」なんて思ってちゃダメだ。
>
> なので俺は服従より自由意思に今のところは留まるよ
> ドストエフスキーも言ってたでしょ
> 数学的に証明されたとしても、キリストに留まりたいと
それでよい。しかし、カラマーゾフの兄弟でドストが語っていることは、もう一段突き詰めるべきだ。
宗教を信仰を、自分の内的な世界の哲学・思想ととらえてはいけない。それは民衆の中へ飛び込んでいくための道具と
解するのだ。 創価くんは坊さんになりたい創価大学の学生さんか?
カルマジーノフみたいなやつだな つまんない書き込みをスルーされて嫉妬心を爆発させるとかさ、
仏教を志す者のわりにはあまりにも煩悩にとらわれすぎている
そんな恥知らずな荒らし風情が他人に説法しようなど実に烏滸がましい 宗教ってある意味でとっても怖いよね
だいたいは本当の事を言ってるんだと思う
それも真理を含んでいる(というかコピペしてる)
そして一番厄介なのは、ドストエフスキーも問題視していたキリスト教社会主義みたいな、宗教に政治を混ぜてくる主義者たちにもあてはまる
最初は本当の事を言っておいて、最後にちょっとだけ自分の都合を混ぜ込む
そうすると、全体は正しくて立派な外観に見えるのに、本質は世俗的な欲の集客システムに変わる
箱は同じだが方向だけ違う船のように、乗っていたものはたまらない
いつしか別の目的地につかされちゃうw
しかも一番の問題は、本人がここが目的地だったんだ、と最後まで気がつかないことw
詐欺のシステムに本当に似ていて、勉強になる、って勉強しちゃダメなんだけどねw >>891
カルガーノフなら知ってるけど。カルジーというのは未成年かなんかの登場人物かい?
おっさんだよ。しかし心は青年やで。 >>892
ぼくは君をスメルジャコフと呼んでいるが、ほんとうにそう思ってるわけではないよ?
とにかく悪ふざけするのはやめな。あたりまえだけど、ほんとうに信心をしてる人というのは、
無信仰で、自分の気ままに生きてる、君たちのような存在とくらべ、人間としての本質において
数段上なのはわかるでしょ? そして一見傲慢なこの言葉は、これを言い切ることがとても大切なんだ。
ウソがいけない。自分の悪いところ恥ずかしいところを吐き出せる人間というのは、すでにそれを乗り越えている。
>>893
きみたちは反発するのは仕方がない。そういうもんなんだ。2ちゃんなんかのカキコで、言うこと聞くやつはいないw
君らの見てきた世界と育ってきた価値観で、捉えられるはずがないからね。
いつの日か現実の存在として創価学会にであえば、あるいは目が覚めるかもしれない。
でも893君は、こと創価学会のことになると、途端にヤクザな無信仰のチンピラみたいなカキコになるのはなぜなんだ?
ドストを語ってるときは聡明なのに。無知無教養で、ずる賢い、ラキーチンみたいなキャラになるのが不思議で仕方ないよ。 ウソごまかしはダメだ。おれは真実を語る。
現今の世界で、カラマーゾフを正しく解釈し、ドスト以上にその本質を剔抉し得るのは
信仰にすべてをかけるぼくのみだ。いやちがう... この表現は。「すべてをかける」というのは、他に選択肢があるのに
あえて創価の信仰にかけているみたいだ。僕にはそれしかないのだ。他にはなにもない。どんな道もない。 >>893
> 宗教ってある意味でとっても怖いよね
> だいたいは本当の事を言ってるんだと思う
> それも真理を含んでいる(というかコピペしてる)
>
> そして一番厄介なのは、ドストエフスキーも問題視していたキリスト教社会主義みたいな、宗教に政治を混ぜてくる主義者たちにもあてはまる
どうも、そこに、特に引っかかるみたいだな。政治アレルギーがある。政治というものの捉え方がちがう。おれたちは
政治屋じゃない。政治ゲーム屋は2ちゃんには殊に多い。おれらは根本的にちがう。
>
> 最初は本当の事を言っておいて、最後にちょっとだけ自分の都合を混ぜ込む
> そうすると、全体は正しくて立派な外観に見えるのに、本質は世俗的な欲の集客システムに変わる
> 箱は同じだが方向だけ違う船のように、乗っていたものはたまらない
> いつしか別の目的地につかされちゃうw
> しかも一番の問題は、本人がここが目的地だったんだ、と最後まで気がつかないことw
> 詐欺のシステムに本当に似ていて、勉強になる、って勉強しちゃダメなんだけどねw
きみはじつはだれよりも宗教不信が強い。君が愛してるのは自分の己心にのみ思い描いている
キリストとか神だ。しかしそれでいいんだ。そういう人間でも、あるきっかけで変わるんだ。ただしそのためには
第六編 「なぞの客」みたいな、あるいはゾシマ兄の逸話があるだろう? ああいう命がけの体験がひつようだな。 さあ、寝よう!
いろいろゴーマンかましてるが、結局のところ、キミらは僕の弟子みたいなもんで、もう半分以上は
創価学会員といってもいい存在なんだw
A 君は「キリストは真理の外にあると数学的に証明されたとしても、キリストに留まりたい!」が口癖の学会員だし
スメルジャコフ君は、おれに憧れていっしょうけんめい口真似する小鳥みたいな創価学会員だ... w >>897
宗教アレルギーというか、まがい物が多すぎるんだよw
俺は仏教だってこの上なく敬ってるぜ
もちろん豪華な寺とかつくったりするような、変えまくったインチキ仏教はアレルギーだけど
あまりにまがい物が多すぎるアレルギーってとこかな >>898
君は特有の誤解しているけど、その言葉はそういう意味ではないよ
ドストエフスキーが、たとえ真理がほかにあると数学的に証明されたとしても、私はキリストに留まる、といっのは、君がいっように短絡的にドストエフスキーがほかに真理がある、と思ってたというのは論理的にまったく当てはまらないよ
文には前提と結論がある
たとえーーでも、ーーーをする
というのは、
たとえーーーでなくても、ーーーををする
の、ーーをする、ということの強調文だから、これを正確に言えば、たとえ真理が外にあろうとなかろうと、どっちでもよくて、なんだろうと私はキリストにとどまる、と言ってるだけで
真理がほかにあるなんて読むのは、読解力の問題かそういう事にしたいという欲望のあらわれか、悟性が足らないかのどれかだよ
これこそ「方向の違う船」みたいにとても危うい
まるでキリスト教社会主義者のようだ
by ドストエフスキー >>創価くん
ドストエフスキーの小説には「奴はキチガイなのか?」という台詞が時々出てくるが、君のためにあるような言葉だな
>>893
バートランド・ラッセルが回想録『ロシア共産主義』の中で宗教性はそれ自体が腐敗をもたらすのでダメだといってる
ボルシェビキは宗教的であり、レーニンはあまりにも自分の意見や信念に固執しており、
多少はマルクス主義を贔屓している自分ですらまるで話し合いにならなかったという
君は古い時代の名残としてではなく、まだ何か宗教に期待しているのかね? >>901
そういう事になるようですね
俺の性格はきっと原理主義なんだと思う
なんでも原理的に物事をとらえるから、だいたいが虚無主義的な結果に終わる
ほとんどが最後には意味がない、で終わる
だからまだ俺にとって、宗教は名残ではなくて、期待を込めた最後の藁みたいなもんなのかなw
もちろんマルクス主義で唯物論でもいいんだけど、唯物論は唯物論で意外と楽観的な気がして、悲観する俺にはちと明るすぎるw それはこれといった趣味の無い人、ニヒリスト、飽きっぽい人というだけさ
世間体としてどうかは別として、直さなきゃいけないようなことでもないぞ その点、私は子供のころから何かに熱狂したことがないな
恋愛にしろ何にせよ、常に一歩引いて冷めた目で見ている
だがそれに疑問を感じたことはない
さて、ニーチェあたりに言わせれば、人は死を見つめて焦ることで、
日々を大事に濃く生きることができるという
しかし私はそういう刹那的な熱狂や陶酔に身を投じる気分にはなれない
他人がやってるのを責任ない立場から観戦するのは嫌いじゃないけどね
その意味においては、私はカーライル的な英雄主義者かもしれない
自分の人生には幼少のころから何も期待していないし、特に欲望も野心も無い
きっと誰かが自分の代わりに何かを成し遂げるのを見届けるために自分は存在する >>904
ニヒリズムという点では似てるじゃないかw
ならば、最後に神に賭けないと生の意味とすべての道徳を失う気がする、という反動からくるあのどんよりとした虚無感も君には理解できるじゃないだろうかw
サンシモン(というか好きなのはフーリエだけど)のいう空想的社会主義はなんとなく分かる気がするけど、カーライルのいう封建主義的個人主義というのはイマイチ意味がつかめない
単純に論理が難しいのと、俺の直感に合わないみたいよ
ニーチェは死をみて焦ったんだね
俺は死を見た時、そのイメージは花火のように感じた
着火したからには燃え尽きちゃうな、という感覚に近い
生まれちゃった限り、否応なく死は時間と共に絶対的に近づいてくるからね
そして、終わるからにはなぜ始めたのか原理的に考えると、そこに出る答えは結局、意味はなかった、というオチw
俺がドストエフスキー好きなのはそんなところなんだろうと思ってるけどね 老いや死を意識することで後先のことや本質を考慮せずに目先の生に全力投球する
これは女性にありがちな刹那的実存主義で、『悪霊』のリーザなんかはこのタイプだ
ニーチェは人生を危険な綱渡りの連続と表し、現実的挫折や俯瞰的視野(ニヒリズム)に心折れず、
究極的には無意味な人生の綱渡りを勇敢に渡っていく人間を強者と讃えた
神に賭けないと――というのは抽象的でなんとも言い難いが、要は自分をルールや型にはめるということかな?
『悪霊』終盤のシャートフの台詞に「ぼくはロシア人だけどロシア人になれないからスラブ民族主義派に属しているんだ」みたいな台詞がある
シャートフの考えは分かるが、私としては共感性を持つなら嫌いな人々を無理して相手にするより動物でも飼った方が良い >>900
> ドストエフスキーが、たとえ真理がほかにあると数学的に証明されたとしても、私はキリストに留まる、といっのは、君がいっように短絡的にドストエフスキーがほかに真理がある、と思ってたというのは論理的にまったく当てはまらないよ
>
> 文には前提と結論がある
> たとえーーでも、ーーーをする
> というのは、
> たとえーーーでなくても、ーーーををする
> の、ーーをする、ということの強調文だから、これを正確に言えば、たとえ真理が外にあろうとなかろうと、どっちでもよくて、なんだろうと私はキリストにとどまる、と言ってるだけで
俺もそう思うw
ワザとウソで書いた... w
おれを誹謗中傷する言葉を書かないように。罰が当たるww >>904
> その点、私は子供のころから何かに熱狂したことがないな
> 恋愛にしろ何にせよ、常に一歩引いて冷めた目で見ている
> だがそれに疑問を感じたことはない
人間にはそれぞれ個性があって、どの性質も一長一短だ。
しかし、自分がまだ知らない自分に会えるとしたら? それにかけてみるのも一興じゃないか?
今夜は疲れていて、大量タイプはできないが。
> さて、ニーチェあたりに言わせれば、人は死を見つめて焦ることで、
> 日々を大事に濃く生きることができるという
これはニーチェ固有の思想ではなく、至極あたりまえではないか? とうぜんそうあるべきじゃないか?
> しかし私はそういう刹那的な熱狂や陶酔に身を投じる気分にはなれない
なにが刹那的なんだ? どうして気分にならないんだ?
> 他人がやってるのを責任ない立場から観戦するのは嫌いじゃないけどね
>
> その意味においては、私はかもしれない
> 自分の人生には幼少のころから何も期待していないし、特に欲望も野心も無い
> きっと誰かが自分の代わりに何かを成し遂げるのを見届けるために自分は存在する
心の中の夢想や理想、思想や哲学で終わらすのはたやすい。現実の人間に働きかけていくしか喜びもない。
そうであってこそ、刹那は永遠であり、熱狂と陶酔も最高の理知になる。「カーライル的な英雄主義者」だか
なんだか知らんが、そんな自己満足にふけってるときじゃない。 君らはとにかく、平凡にして偉大な僕らのような人間になるべきだ。
平凡な庶民として、信仰と理想に生きるべきだ。
君らは平凡で卑小だ。自己の観念の殻に閉じこもって、一歩もでてこないからだ。
大事なことは、自分より優れた人物。つまりおれのような信仰者に対して、頭を垂れて、一から教えを請うことだ。
できるか? >>906
ニーチェはニヒリズムの先を上手く生に転換できたんだろうね
いわく超人の概念を構築しただけはあると感じる
だけど、刹那主義はある意味で欲望の権化にならないのだろうか?とも思う
神に賭けるとは、要はニヒリズムの転換方法がこういうやり方しか出来なかった、ということに過ぎないのかもしれない
つまるところ俺も生に、そして善悪に無関心になった時があるが、生きるに値しないと思った人間が思いつく手段なんて一つしかないだろうw
それに自尊心に興味がなくなれば、人は自分の欲望が善に向いているのか悪に向いているのかに関心を失うのも必然なんだろうね
だからこそ「普遍的善悪の不変の創造者」を俺は求めたのかもしれない
そこで、すべてが許されている、と転換できれば社会性の塊にでもなれるんだろうけど、それは出来なかった
転換の方向がなぜかそこなのかは分からない
そう説明するよりも、スタヴローギンのあの無関心に近い、と言った方が君は理解するんだろうけどねw
シャートフはいいね、とても人間味がある
だけど、人間に共感を求めるくらいならば動物を可愛がる方がマシ、というのも人間味がある気がするよw >>909
君は本当に対話ができないね
対話は自分の主張が少なからず入らなければ成立すらしないよ
君は否定と嘲笑で終わりだね
君のレスは話のつながりがないし、何より誠実さがない
前に5chに何を求めてるんだ、とか言ってたけど、そんなのは当たり前で、そこで自分もそれに迎合するなら独り言と変わらないよ
独り言というのはこうやるんだよ
だから偶像崇拝の政治屋集団は無能だな(´・ω・`) >>904
>さて、ニーチェあたりに言わせれば、人は死を見つめて焦ることで、
>日々を大事に濃く生きることができるという
あたり?
ハイデガーならそんなものだけどニーチェの場合は少し違う
生の本質を惨苦としつつその苦しみを引き受け、
創造性こよって快楽に変えることを主張する
それこそが芸術、そして人生の意義だとしている
死の恐怖や不安の裏返しとしての生への愛着とはちょっと違う
だから神亡き時代の恐怖や不安の克服として提唱された超人思想が
永劫回帰思想へと展開していくわけだね
これがドストエフスキーだと不在の神との対話にとどまる 「不在の神」ではなく「沈黙の神」といった方が適切かな
ヨブ記を持ち出すのはそういう事だよ
信じる力を持ち続けることの威力が分かっているし
それを創作のベースにしている まあ、死ぬまで懐疑と虚無に身を焦がしているのがドストエフスキーだけどねw >>912
> 永劫回帰思想へと展開していくわけだね
> これがドストエフスキーだと不在の神との対話にとどまる
なんで?この世界のどこにも、ニーチェ教もドスト教もないのか?
だれひとり、ニーチェの永劫回帰思想を奉ずる宗派が、地球上のどこにも発生しないのか?
科学教はあるのに? キリーロフ教はなぜない?
それは、民衆救済の教えではないからではあるまいか? 民衆を連結させる教えではないからでは
あるまいか?
> そうです、生の本質とは苦痛とみなしたキリーロフです
(生の本質とは苦痛とみなした)そんなものは遥かな太古に釈迦が、それどころか歴史発生以前から
思索されていただろう。
> 「生は苦痛です、生は恐怖です、だから人間は不幸なんです。今は苦痛と恐怖ばかりですよ。
> いま人間が生を愛するのは、苦痛と恐怖を愛するからなんです。そういうふうに作られてもいる。
> いまは生が、苦痛や恐怖を代償に与えられている、ここにいっさいの欺瞞のもとがあるわけです。
> いまの人間はまだ人間じゃない。
> 幸福で、誇り高い新しい人間が出てきますよ。生きていても、生きていなくても、どうでもいい人間、それが新しい人間なんです。
> 苦痛と恐怖に打ちかつものが、みずから神になる。そして、あの神はいなくなる。」
>
> 「自由というのは、生きていても生きていなくても同じになるとき、はじめてえられるのです。これがすべての目的です。」
> 「最高の自由を望む者は、だれも自分を殺す勇気をもたなくちゃならない。そして自分を殺す勇気のある者は、欺瞞の秘密を見破った者です。
> その先には自由がない。ここにいっさいがあって、その先には何もないんです。あえて自分を殺せる者が神です。」 こんな教え・思想が、苦悩する民衆の救いになるか? バラバラに分断された孤独な庶民を
連帯せしめる理想となりうるか?ちょっと考えりゃわかりますよね?
もちろん否です。
だからどれだけ、日蓮大聖人の教え、南無妙法蓮華経が大事かわかりますか?
池田先生という存在が、創価学会のリーダーとして、キリーロフなど比較にならないほど、この
日本国を根底から支えていたか了解できますか?
もし池田先生が狂った指導者であれば、日本人には絶望しか無かった。
日本人にとって縁のない砂漠で発生し、ヨーロッパで育まれた宗教― そうしたバカげたものに
我が国は蝕まれていた。
=================================================================================
> > ドストエフスキーが、たとえ真理がほかにあると数学的に証明されたとしても、私はキリストに留まる、といっのは、君がいっように短絡的にドストエフスキーがほかに真理がある、と思ってたというのは論理的にまったく当てはまらないよ
> >
> > 文には前提と結論がある
> > たとえーーでも、ーーーをする
> > というのは、
> > たとえーーーでなくても、ーーーををする
> > の、ーーをする、ということの強調文だから、これを正確に言えば、たとえ真理が外にあろうとなかろうと、どっちでもよくて、なんだろうと私はキリストにとどまる、と言ってるだけで レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。