【晩年】大江健三郎 8【様式】
古代のイオニアに興味を持った関係で、エウリピデスの戯曲「イオン」の粗筋をwikiで読んだが、
大江の「個人的な体験」と似てると思った。実の親が自分の気に入らない子供を殺そうとする点で
共通している。 >>310
地獄という概念を信じてる......あっそっちの宗教かw >>313
現生の価値に上下があると言うことは
地獄もあると言うことだよ。 >>315
お前には価値基準というものがないのかね。
俺は無政府主義者は悪だと思っているよ。
また実行に移した大江のような存在なら尚更。
だから地獄に行って当然の存在だと思っている。 >>311
『夜よゆるやかに歩め』は大江唯一の恋愛小説で、ほどよく通俗性もある >>317
何を言っているのかわからない
大江は天皇制には反対せど、無政府主義なんぞ唱えちゃいないだろう
しかしツボの部分に触れないというのはやはりそういうことか。 >>319
ツボツボうるせぇな
俺は朝鮮人は半島に帰れと言う立場だ。
大江が朝鮮人を守ろうとして今のような日本に
したんだろう。 >>318
大江の恋愛小説とは
気になるので読んでみたい ノーベル大江を奉るのは
オオエ真理教
と言います。 大江健三郎スレで
小学生みたいな書き込みするやつwww 日本人にクソなものを残し大切なことを忘れさせた男
それが大江健三郎 >>329
日本国にとってと言っているんだから
日本国を壊そうとしている人間は関係ないし
日本に礼儀を示さない人間も例外ということだろう。 >>330
相手の言っていることを殊さらそうやって曲解して、揚げ足取りをしようとしているんでしょうけれども、それも空振りしていますよ、申しわけないけれども
https://i.imgur.com/3Xolt38.jpg 3月3日、大江健三郎が亡くなって1年が経った
これからも大江の小説を毎年何作か読んでいく 全小説の解説マジでいらねーな
害悪でしかないだろ
尾崎とかいうカスは
無知なりにそれをなんとか少しは克服しようとする努力すら放棄してる
こんなのにインタビュー本といい仕事が回ってくる謎 尾崎の解説は確かにあってもなくても構わない薄いものだ
害悪とは言い過ぎだがね
大江は賢いし、勉強家だったので、どの批評家も歯が立たないんだよ あらためて大江はサイコパスだったんじゃないかと思う。
そのサイコパスが反核に目覚めた結果が大江の作品。
そして、サイコパスの特徴として責任を取らない。
支離滅裂でも責任を取らない。
それが大江の人生。 >>337
大江の初期の作品はまさにサイコパス的所業だよ。
あらゆるものを記号に置き換えて次々と問題解決していくみたいな。
人はそれを見てびっくりしたわけだけど
しかし大江は人間ではなくてサイコパスだったんだろうと思う。 ノーベル賞作家で亡くなったのに記念館みたいなのが無いのは寂しいね。
本人の意思なのかな? 大江は秋元康みたいな容姿がイマイチだな。
過激なこと書いててもなんか迫力が足りない。
三島、漱石、太宰、川端、谷崎とかに比べて見た目が良くない・ 大江は子供のことを書きすぎだな。
作品の幅が狭まった。 >>340
三島、漱石、太宰、川端、谷崎は顔がぱっと思い浮かぶね
大江もそうだが、最近の作家の顔は特徴がないのか全く浮かんでこない
というか、それ以前に知名度が低すぎて、一般に知られている作家は純
文学ではせいぜい村上春樹くらいだろ。 現代で本当に押しが強い人は作家じゃなくユーチューバーとかになるんじゃないの
そいつらのほうが鋭い顔してる
ほとんどがチー牛か(いい歳なのに)大学デビューしました、みたいなツラのやつらしかいない 屁理屈を言っても良いんだというのをこの国に広めた
大江健三郎 三島の書いたものに迫力なんぞない
背筋にくるものが何もない
もはやキャラクターとして残っているだけ 昨年の暮れに出た、安藤礼二「死者たちへの捧げもの」青土社の、大江と三島の天皇感の比較が中々興味深い
明治政府が作ったアマテラスを皇祖とする現人神の天皇像が三島で、それを脱構築した折口信夫のシャーマンとしての天皇像が大江だという >>347
大江の方が後ろの世代で本筋とは違う形で神話化されていた
ということだろ。
正直どうでも良い。 明治政府が作ったアマテラスを皇祖とする現人神の天皇像が三島で、それを脱構築した折口信夫のシャーマンとしての天皇像が大江
脱構築wwwwwwwww
未だに脱構築wwwww 世の中全員脱構築しとるもんな
犯罪者を讃えたりなw 全然違う、戦後、天皇が「人間宣言」したことに対して反発したのが三島で、天皇を改めて明治以前のものに戻して構築し直そうとしたのが折口信夫
安藤の評論は、三島の「英霊の声」と大江の「セブンティーン」「政治少年死す」の比較で、大江に折口の影響があるのを分析したものである
大江の中にある天皇像を、「セブンティーン」「政治少年死す」の主人公の天皇像として描いてるのであって、左翼の立場から批判的に書いた小説ではないということだ >>351
スタンドバイミー的な少年時の甘い心の対象として
天皇があったという大江の嫌味が入った分析
何だろうけれど
果たしてそれは事実なんだろうか?
三島由紀夫の金閣寺は事実とは違うとよく言われるもの
だけれど。 事実かそうじゃないかはどうでもいいんでしょ
机上の空論が精密でさえあれば
大江にもそんなところがあったから
燃えあがるや取り替え子は残念な仕上がりになってる 読売新聞で、仏文学者で東大教授の郷原佳以がこの本を書評している (2024.4.14)
「著者はデビュー以来、折口信夫について論じ続けてきた批評家である。
2014年の大著『折口信夫』のなかで著者は、「大嘗祭の本義」を始めとする折口の天皇論をこうまとめている。
「近代的な天皇制を、前近代的であるとともに超近代的でもある〈野生の天皇制〉へと解体し、再構築してしまうこと。
すなわち、天皇を『脱構築』してしまうこと」。
そしてこの構想は、フレイザーの『金枝篇』やモースの「呪術論」など、霊的な力を探求する民族学の視点に拠っていると指摘した。
(中略)
しかし、問題提起において圧倒的なのは間違いなく、大江健三郎と三島由紀夫をめぐる冒頭の2章、および、大江と村上春樹をめぐる終章である。
著者は、一見対照的に思われる三島と大江の天皇感の以外な関係性を暴き出す。
「政治少年死す」における右翼少年の「純粋天皇」崇拝は、単に切り捨てるべき愚行として描かれたのではなく、大江自身が取り憑かれていた想念だった。
この想念を介して大江と三島は交錯する。
そして三島の自死によって、大江は三島に呪縛されつつ別の方向へ歩み始める。
そこで支えになったのが、三島が抗った折口の思想だった。
著者は、大江と三島の対立の象徴となる1968年を起点として、以降の日本文学史を描き直してみせる。
終章では、その後にやって来る村上と大江の関係が、三島と大江の関係の反転として論じられる。
大江の『水死』と村上の『1Q84』が共にフレイザーの『金枝篇』の王殺しの場面を引用しており、
共に折口の思想を反復しているという指摘は説得的だった。」 >>354
要するに昔の柄谷がやったようなことを別の切り口で反復してるだけってこと?書評がクソすぎてどうしようもない >「近代的な天皇制を、前近代的であるとともに超近代的でもある〈野生の天皇制〉へと解体し、再構築してしまうこと。
すなわち、天皇を『脱構築』してしまうこと」。
↑笑止千万。「天皇制を脱構築」って具体的に何よ?
意味不明の文章を書き連ねて、それが「説得的」とはねw 概念で遊んでいるだけでしょう
ニューアカの頃と何も変わらん
もう皆騙されないだけでw 安藤礼二とは何者か
2009年の第3回大江健三郎賞の受賞者である
大江健三郎賞は、その年に「文学の言葉」で書かれた作品の中から、大江自身が一人で選考して勝手に受賞者を決める
受賞者にとってはまさに晴天の霹靂だが、賞金はない代わりに英独仏語のどれかに翻訳するプロジェクトが始動する
折口信夫の代表作「死者の書」を分析した安藤の受賞作「光の曼荼羅 日本文学論」は、「死者の書」と共に英訳されて2017年に出版された
一般の文学賞は、受賞者とその名前を冠した作家はもちろんのこと選考委員との間にも関係は生まれないが、この賞は両者の間に交流が生まれる
大江は、安藤から贈られた英訳の「死者の書」を、「いただいた朝から読み始め、その流麗さに一日中、ベッドから起き上がらないというふうだった」とお礼の手紙に書いている では、大江にとって折口信夫はどういう存在なのか
大江のトレードマークの丸メガネは折口に憧れて真似したものだと講演で語っている
折口信夫全集が出たときは最初の購入者になったという
折口の影響が直接出てる作品は「万延元年のフットボール」(1967年)である
「ここで蜜三郎が妻に説明している祝祭、この「念仏踊り」こそが『万延元年のフットボール』全体を貫く通奏低音になる。
「ふるさと」に生起するさまざまな出来事、過去と現在、そしておそらくは未来までをも含めたさまざまな出来事は
「念仏踊り」のなかに取り入れられ、それが繰り返されるたびに活性化され、「ふるさと」の新たな歴史として産み落とされる。
そうした祝祭の在り方を、大江は、この一節中に固有名が明記されている通り、折口信夫がその生涯の最後に残した、ある意味では折口の遺言ということも可能な長編論考「民族史観における他界観念」にもとづいて再構築しているのである。
つまり『万延元年のフットボール』に描き出された「ふるさと」とは、現実の「ふるさと」に、テクストの解釈によって導き出された仮構の「ふるさと」が重なり合うことによって形づくられたものだった。
テクストの創造的な反復こそが「ふるさと」を生起させていくのである。
このとき大江が折口を選んだことはきわめて重要である。
なぜなら、アジア・太平洋戦争以前からその敗戦の後に至るまで、ただ折口だけが「天皇」を脱構築することに成功しているからだ。
折口は生涯を通して道徳としての神道、「国家神道」に意義申し立てを行い続け、もう一つ別の近代を模索し続けた。
そのためには、神道は道徳ではなく宗教でなければならない。
神道の基盤である「神憑り」にいま一度戻らなければならない。 京都の皇典講究所と東京の皇典講究所(國學院大學)、「神憑り」から生まれた教派神道各派と密接な関係を持っていた研究団体「神風会」への熱狂的な参加等々、
出口王仁三郎による「神憑り」の実践と折口信夫による「神憑り」の研究は、その背景においても理論においても、きわめて深く共振するものであった。
三島由紀夫が出口王仁三郎を選んだとしたなら、大江健三郎は折口信夫を選んだのである。
『万延元年のフットボール』の源泉である折口信夫の「民族史観における他界概念」、そのものずばり「念仏踊り」と題された節は、こうはじまっている。
「村を離れた墓地なる山などから群行して、新盆の家或は部落の大家の庭に姿を顕す。道を降りながら行ふ念仏踊りは、縦隊で行進する。
家に入ると、庭で円陣を作って踊ることが多い。迎えられて座敷に上ることもあり、屋敷を廻って踊ることもあり、座敷ぼめ・厩ぼめなどもする。」
大江は、『万延元年のフットボール』のなかで、ここに描き出された「念仏踊り」をそのまま再現し、物語の最後、「ふるさと」に隠されていた秘密をあらわにすることで自ら命を絶たなければならなかった鷹四の「御霊」を慰撫するであろう。
つまり大江健三郎は、折口信夫が最後に到達した地点に立つことによって、自らの現実の「ふるさと」を脱構築することをはじめたのだ。」
(「死者たちへの捧げもの」P.60-62) 大江健三郎が、あるいは折口信夫がよみがえらせようとした「御霊」とは、このようなものであった。荒ぶる霊魂の、未開の荒野に立つ。
そのことによってはじめて、靖国と天皇に体現された近代的な施設であるとともに人、極東の列島に育まれた宗教と文化にとっては突発的で特殊な制度であり機能であったものが根底から解消される。
「英霊」を「御霊」に戻し、天皇を「霊魂」の操作者に戻す。
折口にとって列島の原初の神とは人格をもつ神、人間的な神ではなかった。荒ぶる「御霊」のような非人格的な神、霊魂としての神であった。
天皇は、そのような霊魂としての神を自らの身体に憑依させるのである。
アマテラスではなく、アマテラスという「かたち」が与えられる以前の非定形で不定形の、つまりは明確な「かたち」をもたないことによって逆に内部に無限の変化可能性を秘めた「たま」としての神を。
折口は、そのような神を、本居宣長、平田篤胤と続く「国学」の伝統に従って『古事記』の冒頭にあらわれる神、「産霊」(ムスビ)とした。
無限の霊魂をそのなかから産出し、森羅万象あらゆるものに生命を賦与する根源神、自然そのもののもつ荒ぶる破壊する力と生成する穏やかな力をあわせもった神。
そのなかから、あらゆる「かたち」を生み出す神。アマテラスは「産霊」から生み出された一つの「かたち」に過ぎなかった。
アジア・太平洋戦争終結後の折口は、こう宣言する。
天皇を「祖先神」(アマテラス)から切り離さなければならない、と。
三島由紀夫の「純粋天皇」に根底から異議申し立てをしなければならなかった大江健三郎が、折口信夫を選んだことは必然であった。(同上P.66-67) >>361
もののけ姫かよ。
宮崎駿も左翼だが
「もののけ姫」も反天皇のためのフラグであったとしたら
笑えるな。