西武鉄道車両総合スレッド Part30
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>>289
あのぉ、4ドアでも積み残し出てたんですけど 当時は3ドアが主流だったからね
今は悪天候でなければ積み残しは全くない これでも後ろの方なら積み残されることなく乗れたんだけどね。
ただピーク時間帯の大泉学園の通準は地獄だったな。
カーブになっているところは傾いて停まるから、乗り込むのも大変、
車内の中の方にいても苦しいw 本線は3ドアには戻らないだろう。
メトロ08系が有楽町線に転属して、7000系10両編成の置き換えやるようだけど、
西武はいつまで6000系を地下鉄直通に使うんだろうな。
2019年に40000系ロングシートが出てくるけど、それを増備するのかな? ガセネタをさも決定事項のように話を進め他スレに飛び火させるのやめろや 小手指発各停も酷かったって。8両だからなおさら。
ひばり以遠だと各停が15分に1回のこれだけだった時期があったけど、
ひばりで通急退避、保谷・大泉学園では直後が急行だったから、
ひばり以遠からの各停乗り通し客、保谷・大泉学園からの池袋速達利用客が、
ひばりヶ丘−石神井公園間で皆これに集中していた。
そして次の急行が石神井公園で大変な事に・・・。
乗り損ねた人が、ひばりで急行退避したその次の準急に救済される。
保谷・大泉学園で待ってればよかったね♡ >>293
1990年代半ば大泉学園で池袋行優等の先頭に乗りたければ3本待ちと聞いた
本数のカウントに各停おと通過電車を含めていたのか不明
編成の後ろの方なら準急・通準が来た時ホームにいた人が全員乗れていたのだから
順番待ちをして先頭に乗り込むのと比べて最終的には早く池袋の改札を通過できる筈だと思った
当時通準は各駅に停車しながらギュウギュウに詰め込んで大泉学園から途中無停車
>>296
石神井公園で急行に乗れれば儲けもの
という程度の考えだったんじゃね
どうせ座れなくてギュウギュウに押し込まれることには変わりない 10日深夜にマルタイ13号機と14号機が搬出された >>287
今ネット情報しか見ていないと当時の西武がどう考えていたかは全く見えない。
所沢時代の西武は昔から情報が少ないね。
ただ2000は時期的にも間違いなく地下直車の構想の流用と思う。乗り入れ線建設が遅れ目処も立たなくなり、確保していた予算や資材を使い切って無駄にしたくなかったのだと想像する。
1977年で界磁チョッパを採用したのは当時の水準だったが、その後の新101や3000の増備が、赤電時代と重なって西武は保守的と言われた原因だろうね。
RF誌の3000新車紹介で西武の人が「種々検討したが堅実な仕様となった」的な事を述べている。種々検討の中身は全く書かれてないが、新101と3000は赤電置き換えに迫られ仕方なく増備したのだと思う。 池袋線が3ドア車だった理由は、
・目的地は池袋駅という一点集中型
・新宿線と比べ比較的長距離の利用が多いので座れるよう座席を多めに設定するため
と聞いたことがある。
それで3000は3ドア設計となった。
だがバブル経済時代の利用者急増で混雑緩和のため急遽4ドア車を投入する必要に迫られ、
新宿線から2000系の短期レンタルを経て、新2000の増備に踏み切ったのだとか。 >>293>>297
当時の通準は急行などの他の優等に抜かれることなく、小手指から大泉間の有効列車だったからね。
当時ひばりヶ丘利用者の自分は、急行と通準がほぼ等間隔で来たので今より使いやすくはあったな。
ひばりで急行と接続する準急は多少空いてはいたが、石神井発車時点でやはり満員になるし、練馬に停まる関係で遅く、
苦痛時間が長くなるので敬遠していた。 >>301
3ドア時代が長く続いたのは、焼け電のタネ車に併せて鋼体化したり20m化した中で、に4ドアにならないうちに長編成化したからタイミングが合わなかった。
他社は63を入れてもあくまで急場凌ぎって考えだったみたいで、小田急や相鉄なんかは一旦中型3ドアなどに戻ったりしてるね。
関東私鉄が本格的に20m4ドア化したのは1963年以降。その頃すでに西武は20m車が主力になっていた。
大型化と4ドア化が一体じゃなかったのは西武くらいなものだろう。 2000以降は本来なら登場する筈だった地下直車の増備に併せて、4ドア化への移行も多少なりとも考えはあったのでは思う。
けれど地下直がそれこそ10年スパンくらいで実現目処が立たなくなり、そうしてるうちに在来赤電取り替えが急務になって、仕方なく低コストで従来型増備の形の新101や3000が生まれたのではないかなと思う。 2000の小修繕、更新てどうなっているんだ?
検査回帰の延長も影響していると思うが、塗膜ひび割れが酷いじゃないか
今まで黄色の大型のカッティングシートの様な物で応急処置ってのは有ったけど
2405Fとか2505F南側なんて、市販の梱包用ビニールテープ(←ガムテープ幅)みたいのをひび割れの上に何列も貼ってあるんだぜ
この前2405だったかな、半分剥がれかけてて、ホームに進入して来る時ビラビラ風に煽られてるんだよ
なんだよあれ
こうなると所工があったばかりにステンレス車の導入が遅れたのが、ホントに仇になったな。
汚駄朽8000はどうしているんだ? >>306
すまない書き方が足りなかった。
地下直するならどのみち4ドア導入は避けられないけど、それが当面実現出来ない中では、統一された整列乗車第一で考えざるを得なかったのでは、という想像です。
西武車は20〜25年程度で取り替えをしていたから、地下直の本格的実現にはそれくらいは掛かると予想したのかも。事実そうなったから、結果的に新101も3000も早死にって訳でもなかった。
新2000の池線増備は混雑対策ではあったけど、迷走していた新線の地下急行線計画がもし実現したら新宿線へ転属したかもね。応分の3ドアが新線に転属したが、池線用新車が出来たら玉突きで置き換える、という事も視野に入れつつと。
しかし地下急行線は頓挫したのでそれも無くなったのでは。 >>307
西武だけでなくどこも塗料の質が変わって苦労してるみたいではあるね。
なのに補修費は昔に比べたら下げられてはいそう。
小田急はよくわからないけど塗膜は綺麗だね…ただあまり洗わないせいかいつも汚いな。
まさか洗わないのが良いとか?だったりして。 南入曽の一般公開、今年は秋開催に変更
但し横瀬の一般公開は今年度無し
詳細は西武鉄道HPへ なんか理由でもあるのかね
出回っている説としては
・熱中症発生&悪天候回避
・横瀬の建物を新しくする
・保存車ミュージアムを作る
・ドームイベント開催に伴う西武鉄道の人員不足
・なんとなく
果たして真相は... >>308
それならOK
>仕方なく低コストで従来型増備
の文言に引っかかったのですよ。仕方無しでなくむしろ積極的だった認識ですわ。
低コスト云々なら3000系でなく301継続でも良かった訳で
新規形式作ってまでも3ドアに拘ったことからね。 横瀬なんて同じ車両しか展示してないしやらなくていいよ
やるだけ無駄 利用者からすれば西武はまだ3ドア車と4ドア車の所定運用が決まっていただけ良かった
駅の表示器にもドア数が表示されていたし、普段同じような列車に乗る人の場合は乗車位置も身体に染み込んでいた
京王井の頭線なんて3ドアも4ドアも気分次第で来るもんでw
今はどっちもドア数統一されたけど 京急は今なお2ドア3ドア4ドアのどれが来るかは直前までのお楽しみ ピク増にあったけど3000系の当初のプロットに、地下鉄乗り入れ用電機子チョッパ制御ってのもあったみたいだね。
練馬まで来るのがいつになるか目処が立ってなかったから、結果的にあんな車両になってしまったが、
万が一、3000系が地下鉄直通4ドアで造られても、後々ここで汚物扱いされただろうなw >>316
高尾でロングが来るか、セミクロスが来るかは
お楽しみとか言えるほど、生温い話しでない。 近江鉄道もいつかは西武から3000の時みたいに4ドア車を半強制的に譲渡させられなきゃいけなくなるのかな
近江鉄道でも3ドア4ドアの並立が起きるな >>317
当時のヲタは先行試作車として3000系はまさに地下直4ドア電機子チョッパ
7000系はハイデッカー特急車…が共通認識だったような
それで現実は驚きでもありました。そして3000系2連増結はいつ出るのかと。 >>319
今までは、西武から3ドア車の在庫隠し・飛ばしに利用されてきたのに・・・ 山陽本線不通で下松からの甲種輸送は行われなくなるのだろうか? 旅客営業が再開されないのに、甲種輸送が実施されるわけがないわな。
ちなみにJ貨は山陰線廻りを検討してるってよ。 TBSのミニ番組、スマイルスキップ。
N2000のイラストに黄色、2000モーター音のSE、なんだかんだ言って、
西武線=2000ってのが、一般的なイメージなのね。 >>305
別に急いで池線に3000入れて呉れないでも、もう少し451、571、551に頑張ってもらえればよかったぜ。
もう数年池袋線に有ってくれれば一人で電車に乗る年齢だったから、もうちっと吊り掛け旧型に詳しく接することが出来た。
ガーガー音のする赤いのに乗れるのなら、冷房無い事くらい我慢しましたぜ。
ゴロゴロしている冷房の無い黄色い奴らは最悪だったけど。
赤いの消えて大して「西武線速くなった!」とも感じなかったな
赤いの故障でも頻発してたのか? >>324
結局ヨシアキさんから逃れられないんじゃん
そう言えば西友ストアも売りに出すんだっけ? いっそ買い戻したら?
トモニーwithファミリーマートとか言ってるしw >>324
一般的なイメージだと
東武=10030
西武=新2000・9000顔
京成=3700・3400顔
京王=8000
小田急=1000・2000顔
東急=9000・2000顔
京急=600・2100・1000(アルミ車)顔
相鉄=10000
って感じな気がする ウォルマートの西友売却はガセ。
少しはニュース見たら。 >>312
イベント中止の原因は人員不足かもしれないな。なんか休み十分に取れてないのか疲れてる感じするもんな。
イベント開催するにしても、通常の業務についている従業員も残業という形で出勤しなきゃいけなくなるわけだろ?
人員不足でそれやってたら、休みが無くなるし過重労働で疲れるだけだよ。通常業務にも支障が出るだけだよ。
>>309
30000も20000も車番が消えてたりするのあるけど、塗装の質が変わった影響もあるのかね。
あと、車両メンテは下請けに任せてるとか聞いたことあるけど、そういうところの待遇は良くなくブラックが多いと聞いたことがあるから、
保守もいい加減になってきてんじゃないかなって思うところもある。塗装をいい加減にしたところで乗客を直ちに危険にさらすわけでもないだろうし。 武蔵丘のだって非番の人が壇上に呼ばれるもんな
残業代くらいだしてやってほしい >>327
てか京急って600以降ほとんど同じような顔の電車しか作ってないのな >>329
西日本の洪水で自粛 とかかな
これなら今年だけだが。 >>313
積極的だった…かは疑問かなあ。
ならば101と併結前提でも全くの新形式で気張って行っても良かった訳だし。
そこまではしたくないけど、赤電取り替えは待った無し、という訳で扱い易さ重視でああなったのかなと。
3000登場時は、時期的に流石に地下直も目処が立ってるだろうと思ってたら新桜台までしか開通出来なかった。
しかし451・551・571の取り替えが残ってて、けどもういい加減101を増やすのもどうかとなり、更に保守的な新車になってしまったのかなと。 >>331
西武も101系や801系辺り全て同じ顔だったけどな
小田急も2600形や5000形辺り同じ顔だし、昔は社名を入れて「〇〇顔」とか言われてた N2000系の未更新車どこまで使うんだ。
2段窓の車よりも錆があるし、車体の手入れが悪い。
相当見た目が悪いのもある。
2段窓の車の廃車よりも、N2000系の置き換え進めたほうがいい。 >>336
錆や汚れは古さじゃなくつまり手入れの問題だろう。
置き換え云々より普段の清掃とかしっかりすべし、なんだが昨今は正直汚い事も多いね。
塗装車しかなかった昔の方がみんな綺麗だったなあ。 東武よりは全然まし
塗装車でちゃんと手入れが行き届いてると思ったのは京王と京急かな
西武は普通か並より綺麗ってくらいだと思う 東武は昔から手入れが悪くて汚いといわれていたが、
西武も変わらなくなってきた。 >>338
確かに京王5000や6000で錆汁が垂れてるのなんか見たことないな
あそこは鋼製車を25〜30年で置き換えてたから老朽化も著しくなかったのかもな >>340
京王8000で先頭車の白が剥げてテープで補修してあるのは見かけた 昔は車内も車外もきれいだったが、今は下請けがやってるからか汚いよな
西武の下請けかは知らないが、グループの下請けは給料安いから仕事も雑になる 西武は割と綺麗なほうだと思うけどね
東武なんてアルミ車でも薄汚れてる編成多いし 西武は割と綺麗なほうだと思うけどね
東武なんてアルミ車でも薄汚れてる編成多いし 関東大手私鉄で今も鋼製車が残っているのは東武、西武、京成、小田急、京急か
あと京王8000、9000の顔だけw
やっぱ鋼製車を綺麗に保ってるのは小田急かな
8000なんかいつ見てもピカピカだし
その次に京急だと思うが、酷めの2000を何度か見たことある 堤時代の西武はかなりトップクラスだったけどね
倒産しかけてから車両の手入れも簡略化してきた印象 >>338
こういうのは他と比較してマシとかは意味があまりないよ。汚いものは汚いし綺麗なものは綺麗だもの。
鋼製車全盛期、京王や京急は色褪せが目立ったなと記憶してる。小田急はまあ綺麗だったかなあ。だが今はなんだが汚いのが目立つ。8000なんかなぜか結構汚い。
京急はむしろ今が一番綺麗かなと思う。
色褪せもないし艶もあるね。
東武も今が一番綺麗な気がする。昔は本当に汚かった。 ま、4年毎に屋根上も車体も床下機器も新車のように塗装してたのが大きい。
戸袋部分の中身まで銀塗装で輝いていたし。
不思議なのは黄色ツートン車、2年毎に黄色だけ塗り直すもベージュは4年毎。
昨今、床下機器も屋上も全塗装できたのは52席の至福くらいだよね。
東武はクリーム色の頃から汚ったね〜電車だったから伝統で良いのです。 昭和50年代に入ってから、ベージュも同時塗装にならなかったっけ?
段差が付きすぎて塗るようになったって聞いた事ある。
とは言いつつも、10000系も2〜3回目の検査の時は、
窓回りの部分がまだら模様で出場してきてた。
あと、6両以上の編成は半数が全検、半数は重検に変わってから、屋根が半分塗装とか、
検査受けてもあまりきれいな印象がなくなったのもあるかと。 堤がいなくなって
金銭的に厳しくなって
10年前に制服変わって駅名板が今のカラーリングになった頃から、かなり車両の扱いも雑になった気がする
駅員も乗務員も昔はハキハキしてたんだけどな もう台車をアルカリ液で塗膜剥離、再塗装仕上げってのはやらないみたいだね。
昔は台車の住友マークと形式表記の浮き彫りも白ペイントで仕上げてたのに・・・。
全検でもスチーム高圧洗浄した後に軽く重ね塗りでお茶を濁す程度かな。
その重ね塗りも塗膜が平滑じゃなくて見た目がよくない。 なぜか南入曽はいつも人足りなくて募集かけてるね。
小手指はそんなにいつもって感じじゃないと思うけど。 >>354
南入曽だと最寄駅から職場まで徒歩30分。>>344のこの求人には応募しようと思わんな。
清掃だって力仕事なのに、そんなに遠いと職場に着くまでに体力使い果たしてしまうよ。しかもそれが毎日続くと体がもたんよ。 >>349
塗装は、東の京急西の阪急でしょう。
まあ、最近では作業環境や周辺環境の規制強化による顔料や溶剤の材質変更や作業工程の変更により
塗装職場では苦労されてるようですが。 >>355
関係者は新所沢から便乗させてもらえるんじゃないの?
昔から整電社と弘済整備への外注だとばかり思っていたが、昔は違ったのかい? って、自分で調べてみたら、整電社とは西武は昭和42年から契約じゃないか 青梅街道で緑色のオバチャンたまに見るけどなんか関係があるんだろうか 西武の駅構内の清掃は東日本アクセスが担当。以前の担当会社は切られた。 南入曽の清掃バイトは自転車やバイク。
駅から歩く人はまれ。
制服着ていないと便乗不可。 >>355
去年のことだが朝ラッシュ直後の下りで運転席の直後に立っているおばちゃんがいて
どこから来てどこの駅の便所掃除に行くのかと思っていた
立っていることを義務付けられているならその時間分給料出ているのだろうかと 昨夜は38107Fが所沢〜西所沢てグモった影響でキスマイライブの帰宅客で西武球場前駅がカオスだったらしい。 下り飯能行き乗ってたら強制的に西所沢で下されたからしばらく観察してたら、西武球場から来た快速池袋ゆきが西所沢で打ち切りになったやつがあったけど、所沢まで走らせれば新宿線に逃げれるのにと思った。西所沢も結構凄かった >>365
公式ヒでは西所沢〜小手指になっているがどっちだ 今日はまた東急青ガエルが12K運用で飯能まで来たな。
序盤は全然この運用に入らなかったのに最終盤にきてわりと飯能まで来る機会が増えた。 >>369
それでも西武球場前からの池袋行を西所沢で打ち切るのか(>>366)
西所沢に放り出した観客を飯能方面から来る電車に乗り換えさせるのなら捌けるかもしれないが
そっちが不通だったら後の西武球場前からの電車で運ぶはめになるわけだよな
酷い話だ 「出すもの」出さないくせに、人手不足とか定着しないとか何様だよ
しかも最低賃金レベルの条件で高品質求めるとかムシよすぎるんだよ 車庫の車内清掃の人たちはたしかに自転車の人が多い。
一両を一人で担当。10両編成だと10人でセーノでこまごまとしたところまで
掃除するとのこと。一人で黙々と掃除をするので携帯の音楽を掛けながら
とかご自由らしい。
ちなみに電車に全然興味がない人でも、普段の乗車で
乗り合わせるとあ、これこないだ私がせっせとキレイにした車両だ。って
わかるとのこと。 38101Fの目撃情報や乗車情報があるけど、特に報告が無いという事は、
LCDの交換などは行われていないと言う事だろうか?
1次車は照度が低くて見づらいから、さっさと交換して欲しいんだけど。 >>374
これって塗装こそN2000系だけど実際は2000系だね >>377
初期をN仕様にしたら・・・の例として面白いね。
それにしても来年でFS372も50年を迎えるのか。現代水準の安定感は無いが
いい台車だ。西武701系より早く登場した国鉄DT32も素晴らしい。 乗ってる感じとしては最近の軽量台車よりFS372のほうが良くない? NRAは高速域でトランポリンに乗っているかのように跳ねる。
さすがに時代遅れ。 6000系が営業運転に入った頃、帰宅途中と思われるおやじ軍団が、この電車揺れる、妖怪みたいな音するしこれからこういうの増えるのかよと言っていたのを覚えてる。
台車の違いがそう言わせたのではないかな。妖怪みたいな音というのはVの変調音を指していた模様。 >>382
たしかに初期の6000は今とは違う挙動があった。車体の鋼性から来る?撓みの様な感じだったがその後改善した。
車体は変えられないから台車の調整みたいな事はしたのかもね。
今は慣れたが曲線に入る時にグッと沈み込む様な感じは違和感あった。 >>379
アルミ車は皆似た台車だが、何となく20000が一番安定した乗り心地な気がする。
FS372はお客が沢山乗ってかっ飛ばすと今でも凄く安定してるね。でも昔の方が全然揺れなかった気もする。軽量車が増えたし、全体になんとなく軌道整備が甘くなったのかな…と思ってる。
40トンの101系電動車がワンサカ走っていた昔とは大分変わったからね。 的外れかもしれんが、FS372は車体が重い分、挙動がゆったりしてると思う。
最高速度85kの時の台車。まさかここまで速度出すとは思わんだ。
30000と40000の台車は見た目同じにしか見えないが、乗り心地が違うように思える。
西武で東急車に乗ると硬く感じる。 >>386
FS372をフォローする訳じゃないが、本来あの台車は将来の高速化を睨んでいたと思う。
軌道の整備とロングレール化を先に進め、一般列車はS-ATSの更新が完了し、つりかけ車本線引退の83年に95キロ化。満を持して88年に105キロ運転開始になった。
その頃乗り心地は滑る様だったと記憶してる。清瀬〜秋津を高速で走る急行のつり革は揺れてなかった。
今の30000や40000はグワグワ揺れている。だがFS372も以前より揺れている気がする。 シク線の新所以遠は結構気合を入れて走るようだけど
この前2000で100キロ近く出したときは揺れること揺れること。
FS372ってこんなに揺れる台車だったっけと思った。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています