【五十を過ぎると】第50宮脇俊三スレ【きつくなる】
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}L_⌒ノj ::!L_⌒_,ji 〉6i
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| / `j ゚' ヾ、 i ,,j <私の事よりも、もっと汽車ポッポの話をしませんか。
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そんなここは、第50宮脇俊三スレッド。
過去スレ関連スレは>>2-7くらい。
前スレ
【スレがあるとは】第49宮脇俊三スレ【知らなかった】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1622790384/ FAQ
Q.最長片道切符の旅、志布志で寝坊しなければどうなった?
A.初出はここ。7スレ目、2001年12月
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/train/1005998570/452-453
志布志 0624 快速大隅
国分 0909
15' 0924 556D
都城 1035
1:32 1207 625D
吉松 1345
20' 1405 836レ
人吉 1514
57' 1611 840レ
八代 1739
45' 1824 有明15号
川内 2039
と、川内で継続乗車となる。 _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
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ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | おやおや、宮脇クンが、「私が良さを広めた海芝浦」
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | とは、由々しき自惚れでありぞっとしない。
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < 海芝浦が有名になったのは、首都高速の鶴見つばさ橋が
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | 完成した時、海芝浦駅から見える橋がとても綺麗と、
f' __,-ムー、_ ` ノ | 大衆向け雑誌が取り上げたからである。
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 | 宮脇クンが広めたのは、不正乗車のやり方
\,____,// /~丶_ \ ではないかと苦言を呈しておく。
人,_____/ / \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | おやおや、宮脇クンが、「グランクラスで新たなメニュー
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | 作るなら鮭フライがいいと思いますぞ。」とは、
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < 由々しき発言でありぞっとしない。
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | 食堂車の鮭フライを喜んで食べていたなんて、
f' __,-ムー、_ ` ノ | やはり宮脇クンの味覚は、全く当てにならないと、
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 | 苦言を呈しておく。
\,____,// /~丶_ \
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ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | 宮脇クンから、「氷見線が廃線になれば海沿いを歩く
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | 廃線めぐりが楽しめそうですな。」と書き込みだが、
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < やはり宮脇クンの本音はそれか!
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | わたらせ渓谷鉄道はいつ廃止になってもおかしくなく、
f' __,-ムー、_ ` ノ | 宮脇クンの国鉄完乗駅の間藤駅が消えるのは
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 | 時間の問題だろうが、氷見線は種村のご加護が
\,____,// /~丶_ \ ある限り、廃止はないと確信しておく。
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ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | 宮脇クンから、「山線は長万部のかにめしを
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | 食べながらお別れ乗車をしたいものですな。」
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < との意見だが、そしたら通学の高校生に、
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | 「あ〜、かにめし食べてるジジイは嫌だな。
f' __,-ムー、_ ` ノ | 山線なんて早く無くなればいいのに」と言われるに違いなく、
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 | 宮脇クンは湧網線お別れ乗車の反省が全く
\,____,// /~丶_ \ ないようだと苦言を呈しておく。
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/|_/又 \ / | >>17
スーツが伊予灘ものがたりの動画内で宮脇について語ってたのによ _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
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ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | おやおや、「そうやって鶴見線をバカにしてばかりいた」
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | とは、由々しき発言でありぞっとしない。
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < 僕は鉄道の旅をするなら、宮脇クンの推しの鶴見線より、
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | 僕の推しの氷見線、釧網本線、肥薩線の方が
f' __,-ムー、_ ` ノ | ずっと楽しいと述べたまでと申し上げておく。
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 |
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/|_/又 \ / | 今年(今年度)は、長崎新幹線に只見線復旧に宇都宮LRTと、乗りたいのが目白押しですなぁ テレビ東京の「新 美の巨人たち」で、鎌倉の鶴岡八幡宮を取り上げてた。
宮脇氏が「平安鎌倉史紀行」で訪れた時はまだ健在だった大銀杏が強風で倒れた後、残った根っこから
新芽が出て若木が成長しているのを見て、涙が出そうになった。 _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
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ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | 宮脇クンから、「中の人の筆下ろしは『古びた山陰本線』
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | がお勧めですぞ。」との意見だが、
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < 中の人は宮脇氏がみちのくと越路の意味を、
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | 間違って理解していたことを知って以来、
f' __,-ムー、_ ` ノ | 宮脇氏の言うことは、全て信用出来なく
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 | なったそうだとコメントしておく。
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/|_/又 \ / | 普通の人なら国鉄全線なんか新規開業して絶望するだろうな。 「時刻表から『解放』とはなんですか」っていいそう
田舎の自動車学校で免許を取ったが、その時に教官が『みなさんこれで時刻表から解放されましたね』と言っていた…その言葉が全てを物語っている https://togetter.com/li/1873038 >>34
その時刻表と宮脇氏の好きな時刻表とは違うだろ 1978年の最長片道切符の時に
「かび臭い」「高い割に料理も粗末」など酷評していた大阪のホテル
「シャトーテル大手前」が解体されたね。
数年前に営業は終了していた 昔四国のシャトーテル松山に泊まったことあるけど同じ系列だったんだろうか >>36
都会のビジネスホテルなのに2食付きなの?
朝食程度だったら料理と呼ぶのは違和感あるし
無料朝食付きが当たり前の時代でもない
ビジネスホテルに飲食店が入ってることはあっても
それは料金には含まれないのが普通 テレ朝2で三陸鉄道開業放送しているが、氏の見た「何でこの子があのようなおばさんになるのだろう」
的な踊りはなかった。岩手と宮城のちがいだろうか。 NHKの「小さな旅」で、秋田・阿仁のマタギの生活を紹介してた。
クマ鍋も出てきたけど、本当に骨ごとぶった切ったのを煮てた。 5月2日(月)の19:00〜21:48に、テレビ朝日系で「鉄道ファンがガチ投票!駅総選挙」が放送される。
「全国の鉄道ファンに『本当に行ってよかった日本の駅はどこですか?』とアンケートを実施! 魅力的な
日本の駅がたくさん登場します!!」とのこと。 >>39
レストランが併設されていたからそこで夕食をとったのだろ スレを立ててくださったのはありがたいけど、もう書き込みがありませんね。
2万キロが発行された当時高校生だった自分がもう還暦を過ぎました。
以前書き込まれていた方々も亡くなられた人が多いのでは?
残念ですが、先生が亡くなられてはや29年、もう終わりでいいのはないでしょうか。 あなたのように盛り上げてくれる方がいるので安泰ですよ 50スレ目で終わりかな・・・。何回も出てるけど、
もう書くべきレスは無いけれど、やはりいいスレであった
この言葉で宮脇スレを終わりたい どうしてもみんなと一緒に終わりたいんですか? 典型的な老害ですよ、それ 終わりたいならもうスレ見なきゃいいのになw
何故他人を巻き込むんだ 話のネタになるか分からないけれど、
『最長片道切符の旅』の時期に当たる、1978年10月号の時刻表復刻版が
5月23日に発売される。 ゴールデンウィークの報道を見て、過去の作品を読むのも良い。 >>49
他人が楽しそうなのに自分が付いて行けなくなったら辛いんだろ。
典型的な老害。 >>50
53.10改正は食堂車の営業終了が多くて残念だったけど、地方幹線で短編成化&増発が始まったのもこのあたりからだったかな S53-10は絵入りヘッドマーク導入でしたね。
あと列車の号数表記が、下り奇数、上り偶数に変更された。
(あずさ2号が無くなった) ⇑
新宿発8時ちょうどのあずさ2号が無くなったが正解。 時刻表ひとり旅が53.10について書いていたんだったか >>50
これは有益な情報をありがとうございます。
その時刻表を買うかどうかはわからないけど。 「時刻表ひとり旅」の36ページに、昭和五十三年一〇月のダイヤ改正は
戦時中以外で、特急のスピードダウンがおこなわれた、と書かれている。 >>57
ガキの頃、下りなのになんで2号なのか不思議だった。 >>47
そう言わないで下さい。自分はやっと第20スレに追いついた。
八王子の古本まつりで念願の「インド鉄道紀行」を購入できたよ。
インドが切符に性別や年齢まで書くの理由が分かったよ。他人(ひと)の買った切符を使う人、いるからね。
日本より進化してるね、流石インドよ。
さてこういう人、何屋っていったっけ 鉄道作家のガイドなんていい商売もあるもんだな。電気技術者の職を蹴ったのは、もったいないが。
自分が海外から日本鉄道乗りまくりの為来た鉄道作家と元俳優の編集者のガイドになったら
どう案内しようか妄想するのも楽しい。 老害などと言ってる者は恥
老害などと言ってる者こそ50代 昭和50年代でも電化幹線は、非電化幹線に比べればスピードは恵まれている。 >>61
それは誤解させる。先生は大東亜戦争中も特急がスピードダウンしたとは書いていない。
昭和18年には既に特急が第一種急行と名前が変わっていて特急という名称は無くなったが
東京ー大阪間8時間を維持しており、近未来のリニア品川ー新大阪67分より
実質的に格段に速い速度を維持しているのはさすが大日本帝國だ。 まあ昭和5年当時と比べると丹那トンネルが開業し電化区間が伸び機関車もハイパワーになったから
戦争中も東京−大阪8時間が維持できたのだろうがそれにしても鉄道魂だよな 「鎌倉殿の13人」の時代は大東亜戦争時代とは真逆で、論語が破り捨てられたかのような野獣の時代で親子や兄弟や主従が利害が違えば平気で殺し合いする時代で
日本史上屈指の大逆者はこういう時代の子である「鎌倉殿の13人」の主人公だが、
「失われた鉄道を求めて」でこの義時にまつわる話を披露してるな
なんでも押松という密使が義時追討の院宣を携えて京から鎌倉まで走ったが
何と3日半しかかからなかった。一日130キロを超える。全くの超人だ。 石橋山は鉄ヲタはみんな知っているが情けないことに有名撮り鉄ポイントとして知るだけで
鎌倉殿があわや戦死するところを梶原景時が救った歴史の転換点となった古戦場だったとはまるで知らず
先生が御存命なら叱られたことだろうに >>74
鎌倉殿の13人といえば、義経と梶原景時の関係について「まるで『アマデウス』のモーツァルトと
サリエリのようだ」と、宮脇氏みたいな感想がネット上に溢れてるな 鎌倉殿での九郎の八艘飛びは思ったよりあっさりだったな。
三谷氏は「サリエリの強すぎる者への愛憎」を描くのに夢中な余り、特撮とかには関心が無いのか
武蔵坊がチラ役ばかりで全然地味な扱いなのも残念。
それはともかく昭和の御代の日本鉄道100周年の時のように令和の御代の150周年にも
弁慶・義経・静の三機再会そろい踏みが実現するかは今後弁慶殿を鎌倉殿の表舞台に登場させるかにも掛ってるだろう もしかして木曽の森林鉄道では、機関車に「義仲」「巴」などと愛称をつけたりしてたんだろうか? もし「義仲」と名付けるならその時代の最強最速の蒸機の名にするんじゃないですか
「弁慶」「義経」にしてもそうだし、「池月」「磨墨」に到っては官鉄東海道本線よりも速い
関西鉄道の代表機関車に名付けられた。「磨墨」はサリエリの馬で「池月」は佐々木 高綱の馬
佐々木高綱は乃木大将のご先祖だという。乃木大将は宮脇長吉翁の大上司にもあたるな。
こういうわけで、鎌倉殿の13人と先生と繋がった ✖「磨墨」はサリエリの馬
○「磨墨」はサリエリの子・景季の馬 >>82
系図買い、て知ってる?
まあどこでつながるか判らんけど、今の流れ勘弁帳です 宮脇という位だから先生の始祖は神社関係の神官か役職者であられるか //asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1652858416/-100
また、ばあさまの金歯が剥き出しだな、
いや今はインプラントか
♪インプラントのきぬた歯科八王子
それはともかく先生はきっと莞爾としてお喜びであられよう >>85
宮崎や宮田も神職かよw
宮司とかなら話は別だが 再婚時も
社長を呼ぶような
大規模披露宴をした、
ってこと? 没後19年は
インド鉄道鉄道紀行が
出たころの
内田百閧フ位置、
ってこと? 宮脇氏が「最長片道切符の旅」で、新潮社の栗原正哉氏を最初「星の王子」と書いていたのは、最悪の事態
(数年で絶版にされ、文庫にもしてもらえない)に備えて他社に売り込みやすいように……だったりして。 栗原正哉氏って元新潮文庫編集長と同一人物?
だとしたら功成り名を遂げたじゃんか。何か最長片道のイメージとはまるで違うんでびっくり
「その後ほどなく社内でパワハラに遭いすぐに行方不明になり北欧あたりの教会で静かに本を読んでいる」
というようなイメージを勝手に持っていたのだが きょうのブラタモリは海芝浦駅とか工場の夜景とか、宮脇ファンには嬉しい回だった 先週の能町みね子と六角精児の番組は誰も見なかったのかな
足尾線絡みで写真や間藤駅の追悼ノートまで紹介されたのに 先生は、酒井順子氏や能町氏のような男性以外のオピニオンリーダーに支持されているのが特徴だな
男性以外の人のハートを鷲づかみするニクイ人だ
其処はほぼ男性に支持される百閨E阿川両御大と違うところ >>89
インド鉄道紀行で、寝台から追い出された丸顔のおっさんに寝台を譲るよとポール氏に言ったら
ポール氏に膝を強く握られたとあるが、たしか戦争中に憲兵さんに席を譲るよと立ち上がろうとしたら
長吉翁に膝を強く握られたのを思い出した >>94
酒飲みながら海芝浦駅の思い出を家族に語っていた。 >>1
老年期のAAが
いつ見ても痛々しい。
誰か、中年期の作って。 書泉の5階に行けば中年の先生の写真は見れるが
若い頃はあまりにもイケメン過ぎるな 立川に2度も3度も来たくない。
東京の衛星都市に来ると厭世的になる。
何が楽しくて生きているのか、という気がするのだ。 当時は「衛星都市の住民全部が都心に通勤しているわけではない」という視点が欠落していた
「八高線は関東武士」でそれを実感した 九大病院の病室で檀一雄が最後の力を振り絞って「火宅の人」の最終章の口述筆記をしたとき、
録音を担当したのが藍色の小鬼の藍クンだそうな。 >>104
だとしたら「旅の終わりは個室寝台車」の頃の藍君って結構キャリアあったんだね
学生気分が抜けない新米みたいに描かれてたけど 世代の違いみたいなのはあったけど新米扱いではなかったような
同行者が個性的だと作品にもいい影響でるよね
対照的なのがインド鉄道紀行... インドはポールさんが良かった
行きたくもないインドに付き合わされる編集者も迷惑でしょう
爺さんの世話もしなければならないし >>107
彼はバブル世代の新人類だが,バブル世代はごく一部の例外を除いて本当の意味でのつまんない人が圧倒的だから
彼個人の責任ではない。 ポール氏の足の匂いはすごかった。が、
編集者氏のはきっといい匂いだったろう
何せ原田知世と共演した超一流俳優だからな 文藝春秋の編集者だった、明円クンは、糸井重里『萬流コピー塾』でも編集者として
出てたけどキャラが違ってた。 インド鉄道紀行には写真が掲載されている。これは珍しい。
先生は写真嫌いだから単行本や文庫は表紙を除けば写真なんて無くて
地図や「乗り鉄しか取柄の無いショボい老人」の営業用キャラを強調したイラストだけだしな。 >>108
新人類と呼ばれた世代の藍君達がもう60代で
バブル世代はそれより下だからな
豊かな日本しか知らない世代 新人類とパブルは重なるんでないの?
どちらにせよこいつらの実態はと言うと、もちろん鎌倉殿の世代より旧型客車してる。
が、何故か先生の世代や昭和一ケタ世代からは「宇宙人」とか「未来からやって来た」とか過大評価されてた。 一番高評価なのは「失われた鉄道」の加藤くん(中村彰彦)か
もっとも初期の作では百閧竝O之に倣って、同行者をイジル芸風だったが
いつからか自分らしさを出して(実は世の風潮にしたがい)、
下の立場の同行者を立てる芸風に変えたのかもしれないな。
だとしたらさすが「君子は豹変す」だろう 失われた鉄道はここでは誰も読まないと思うが
昭和六十三年から平成元年にかけての鉄道旅行でありながら一切その事に触れずに進行し
読者をして「こいつはなにを考えてる?」と挑発させながら
山場でサイパンやテニアンを東条もとい登場させて思いっきり書きまくるという
いかにも俊三な持ち味を出している
そう、読者は、俊三が最長片道の10月14日の巻でそのことに一切触れないでいながら実は思いっきり鉄道の日の権化となってたのを思い出すだろう
そういう意味では俊三マニアは「失われた鉄道」を一読してみるのも悪くないのかもしれない >>114
団塊が1945-49年生まれ
新人類が1950年代生まれ
バブルが1960年代生まれ
氷河期が1970年代生まれだと思うけど
泉麻人や山田五郎あたりも50年代生まれだし >>105
白鳥で大阪に着いたら
鯛茶漬の旨い店はどうかと先生に提案するくらいだから
出張の経験などは既に相当積んでいたのでしょうね。
そういえば、白鳥に乗ったときに
これで行ったことのない県がなくなりました
というくだりもあったようなおぼえがあります。 ちなみに、檀一雄が火宅の人を完成させたのが昭和49年。
檀ふみは、能古島から九大病院へ面会に行くときには
姪の浜から大学病院前まで路面電車に乗った、と語っていました。
藍クンはそんな時代のそんなところで既に活躍していたのですねえ。 //www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/report/pdf/198809shinjinrui.pdf
「新人類」とは、その言葉が生まれた当時(昭和のおわりころ)には、
新幹線が出来てオリンピックが開催された昭和39年前後の数年間に生まれた人のことを指していた
どちらかと言うと褒め言葉というよりけなしことば(「今どきの若い者は」を激烈にした言い方)あるいは蔑称だったとおもう それは明日にでも1950生まれと1964生まれとをウオッチングすればわかると思う
明らかに全然違う。前者は江戸時代から来た感じで宮脇流に言うと蒸機のすすの匂いがするのに対し
後者は未来から来た感じで宮脇流に言えば0系の香りがする
>>116
その本の解説者の加藤君によれば宮脇先生は写真嫌いで解説も嫌いとのことだ。
じゃなんで自分が解説を書くんだというのが問題になるがそのくだりは、忘れた。
その本は勤め先に置き忘れたので今ここには書けない >>121
小室哲哉などまさしく未来人あるいは宇宙人的だが
1958年(昭和33年)生まれ >>120
wikiによると1955年〜1967年生まれを新人類としているが「新御三家」「たのきんトリオ」「B'z」を同世代としているなどかなり無理がある 藍クンは、2009年ごろの雑誌で、定年のご褒美にスポーツカーを買ったとか言ってた。
60歳定年とすれば、遅くとも1949年生まれだから、個室寝台車…のころは30代前半、10年目くらいのバリバリ仕事をしていた時期だろう。 >>125
同世代の中島みゆきのファンだったわけか
今はジジイの中島みゆきファンが山ほどいるけど
当時は男性ファンは少なかったんじゃないか? >>126
藍氏と年齢の近い男性で中島みゆきのファンというと、有名人では呉智英氏がいるな。
もっと年長者だと、北杜夫氏の親友の辻邦生氏がファンらしい。 ちなみにその雑誌は(小説新潮だったかな)、藍クン、星の王子様、ヒルさん、灯子さんの4人の座談会だった。 1949年生まれなら藍君は団塊世代ど真ん中
でも昭和元年生の宮脇氏の描く藍君は新人類そのもの
その宮脇氏ですら基本的には戦場を知らない世代
まあそういうことだろう 「野武士のごとき編集者」丹野顕氏はご健在のようだが、宮脇氏の思い出を語ってくれないかなあ。 成蹊の軍事教練でもやってたじゃないか
田舎の中学では修学旅行前に「ある」予行練習をするらしいが、それには鉄道と地方ならではの理由があった https://togetter.com/li/1894792 コの字になる順番でボックスを埋めていくんだったっけ…
時刻表昭和史で合ってたっけ… >>131
演習はしても実戦はしてないだろ
同級生に特攻隊戦死者がいたのも知ってる
だから「基本的に」を付けている _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
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f ミ"""'''''''"""ヘ ニヽ /
ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | おやおや、宮脇クンが、「編集者が旅のお膳立てを
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | してくれるのは、文豪の証ですぞ。」とは、
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < 由々しき自惚れでありぞっとしない。
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | 編集者は仕事だから仕方なくやっただけ。
f' __,-ムー、_ ` ノ | だから藍氏などは宮脇クンに反発して、
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 | 「老後宮脇みたいな旅はしない」と、退職金で
\,____,// /~丶_ \ スポーツカーを買ったそうだとコメントしておく。
人,_____/ / \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/|_/又 \ / | >>130
河出書房新社のムック『宮脇俊三』で、記事を書いていたような記憶が。
手元にないので、確認できないけど。 >>118
確かに鉄道ファンでない東京出身者だと
関東近県と海外と北海道と沖縄以外行ったことない
というパターンも多そう
藍君の若い頃は海外は気軽に行けなかっただろうけど >>129
母は先生より7歳年下だが東京大空襲に遭い戦場というにはあまりに地獄過ぎる東京大虐殺の修羅場を体験している
というのは熱海の疎開先で教師から今で言うパワハラされ怒って東京市に帰ったので。当時は意外に自由だったんだな
父は先生より一つ下だが終戦まで満洲帝國にいたから戦場体験は一切ない >>141
満洲からの引き揚げというのも、たいがい大変だったんじゃないかと思いますが…
その辺は各人の置かれた環境によりけり、ということだったんですかね? 河出文庫の今月の新刊に「旅の終わりは個室寝台車」があった。(6/4刊行)990円
なぜ今頃? 氏の著作では初出が1984・10(新潮社)文庫が三年後の1987・6
もはや昭和60年代の鉄道旅行を感じさせる貴重な資料になったという感じだ。 >>147
加悦鉄道で完乗といえばレイルウェイライター >>148
河出書房のサイトを見てみると、2010年に河出文庫から出たものの新装版の模様。
去年も、「汽車旅12カ月」の新装版を出していたから、重版みたいなものかも。
単なる重版よりかは、新装版の方が、新刊文庫の棚に並ぶのでよろしい。 利尻富士にふさわしい雄渾な名前の抜海駅が廃止の危機 宗谷本線は、稚内まで高速道路出来たら廃止でしょうなぁ >>143
祖父は満鉄の保線責任者で、あじあが最高速度を出す区間の保線を担当つまり馬賊や人民解放軍と戦う警備隊長が名目上の仕事だったから
大東亜戦争激化でも関東軍や支那警察幹部との宴会がじっさいの仕事(人民解放軍ははなから皇軍と戦う意志はなかった)でむしろ内地に帰ってからが大変だったらしい 旅の終わりは個室寝台車
新潮文庫の初版は300円くらいだった気がする。値段で時代を感じる。 >>155
手元のを見たら昭和62年初版¥280
ちな昭和60年3月のJTB時刻表¥690、シウマイ弁当¥600 >>154
>>143です
レスありがとうございます。
実際にご苦労された方の話は、一般的なイメージとは異なるものなのですね。
現地での生活も、引き揚げの時も「命からがら」の日々だったと考えてしまいがちですが。
そういえば、宮脇先生も内地は終戦直後よりその1〜2年後のほうが色々大変だったと
書かれていた覚えがあります。海外から帰国した方々が激増したのに、食物(米)や
燃料(石炭)の生産が追いついていなかったから、でしたっけ? >>157
創価で思い出したけど、先生の作品潮出版社から出てたのあったなあ 時刻表20000Kmで昭和51年頃に九州に行ったとき
「博多から小倉は急行より1〜2分速い特別快速や、急行より数分遅い快速が頻繁に走っているから
博多から(小倉へ)急行に乗る人はいないのだろう」
と記述していたが、まさか46年後にこんな劣化したダイヤになるとは思ってなかっただろうな 終戦時、あるいは8月9日のソ連参戦時に何処にいたかは重要だと思いますよ。
満州奥地モンゴル国境近くに派遣された武蔵小山商店街の人々は悲惨な状況だったらしいし。
ttps://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=995 原武史は最長片道切符ノートで大蛇足を付した時点で終了しとる。 >>163
いまや小倉駅の新幹線ホームに博多行の客が溢れる始末だもんな 原武史 酒井順子 今尾恵介は
鉄道著述の四天王だからな。 高槻市社会福祉事業団は、このスレの連中を
知的障害者として応援します! >>165
蛇足と言えば娘の著作もここでは蛇足扱いなの?
Amazonのレビューでは晩年の姿は知りたくなかったって声も多い
自分は読んでない 作家の死後、遺族が遺稿などをちゃっちゃとまとめて発売してお香典の足しにするのは
生前の宮脇俊三も編集者時代に加担したことあるだろうから「まあ妻と娘のやることなら」と静観してるだろう。
最長片道切符ノートに監修をつけるのはまあわかるとして、それが原武史なのもまあいいとして、
原武史が本文そっちのけで脚注で自分語りを展開したからブーイングなんだよ。 >>174
電子書籍ではがっつり削除されてる、自分語り
誰が改訂したのか不明ですが、これはちょっと...ってなったのでしょう 文庫版でも相当削られてたけど、電子書籍では完全削除なん?
本人は文藝別冊で見苦しい言い訳してたけど >>176
原武史は関わったひとものことがすべてを敵になる低劣なお人柄ですから、
(生地の東久留米の団地を罵り、出身の慶應高校を罵倒し、入試で落とされた東大を恨み、
就職した産経新聞を無下にし、専任職を用意した山梨学院大を小馬鹿にし…)
宮脇俊三ご遺族も出版社も「以後原先生はご遠慮ください」となったんだろうね。 「誰からも求められていない自分語りの注釈なんか付けて、いったい先生は猿にでも読ませる気ですか?」 >>177
原ってそんな経歴なんだ。知らなかった。 >>178
「運賃さえいただければ猿でも乗せます」だっけ。確か大船渡線? >>180
「鉄道法によりますと、猿は乗せないことになっております」 色々運がいい男だな。
生まれた家が金持ちとか戦争の影響でエスカレーター方式で東大入学とか
一回辞めた会社に出戻りできるとか。
時代的にも高度経済成長期だし。 「なんでも結構です。とにかくお客さんですから」も山田線。 金持ちというか軍人の家に生まれてしまったな
一般論で言えば軍人や警官の倅は普通の職人やリーマンの倅と違い
何から何まで縛られて不幸な幼少年期だといえる。 親ガチャで第一種急行にも乗れたし、
バブルも楽しめたんだから良かったんじゃ 長吉翁が選挙活動でお国入りする時に、一等乗車券を手配したりしてポール氏のような役割だったんじゃないの
そうだとすると汽車に乗るのは仕事のようなもので、今の高校大学生諸君の乗り鉄のように心底気楽に楽しめなかったと思う 大東亜戦争時代の鉄道愛好家はやっぱり今の乗り鉄よりは楽しめなかったはずだ
カメラを持てばアメリカやアメリカの宗主であるコミンテルンのスパイ扱いだし
先生大好物の秘境ローカル私鉄の情報量も圧倒的に少ない
もっともその無念・鬱屈が失われた鉄道を産んだともいえよう 「運賃さえいただければ猿でも乗せます」だっけ。確か松浦鉄道線。
「なんでも結構です。とにかくお客さまですから」も松浦鉄道線。 にしても色々曝露してくれたしなのさんはナイスだけど流石に本人が公開してない住所や本名の公開はアウトなのでは。
しなの
キムチ無理無理恫喝妖怪女。 >>sage
山田線でしょ
循環急行は誤乗がいるから、車掌としては当然の答え
戻るのも大変だし 今日の読売新聞に先生の時刻表2万キロのことが載ってるぞ ソウハチは未利用魚で地元以外には出回らないんだな
クロ現より NHK・Eテレの「グレーテルのかまど」という番組で、水戸岡鋭治氏が子供の頃に食べて感動したという
アイスクリームを再現してたけど、宮脇氏も書いていた小さな経木の箱に詰まったスタイルでした。
7/6(水)11:05〜11:30に総合、7/8(金)13:05〜13:30にEテレで再放送あり。 それはそうと、宮脇氏の紀行作家としての実働が15年程度とは意外
もっと長く活躍したイメージがある そういえば、宮脇氏が富士宮カントリークラブでパターン富士宮いいと山岳部にいたからOKって 世の中に 人の来るこそうるさけれ とはいふものの お前ではなし
って宮脇俊三さんが内田百閒の家に訪れた時の張り紙だっけ?
編集者宮脇レベルなら内田百閒に会えなかったのかな 百閧フ文体とくに独逸臭のする擬古文を変えて
先生の様な簡潔な漢文調の日本語にする野望をあきらめたんだろ >>203
宮脇氏の時代はともかく現在は通販で買えるよね 今尾恵介はもっと文学風味を出せれば宮脇の後継者と言えたな。 「時刻表2万キロ」と「最長片道きっぷ」は代表作だけど
これ以外で良かった作品はなに?
自分は歴史紀行シリーズ、終着駅へいってきます、ローカルバスあたりかな? >>216
つ「時刻表昭和史」
自分のことしか書いてないのに戦前戦中のことがわかるよ >>216
上がってない中だと
失われた鉄道を求めて
線路のない時刻表
御殿場線ものがたり
あたりかなあ >>218
>失われた鉄道を求めて
とかまされると、プルーストの失われた時を求めてを思い出さざるを得ないが
この仏蘭西の文豪の様にわれ人生の総決算を書かん!という莫大なゴシック大教会のような情熱は勿論見れず
あっさり恬淡な枯山水だから宮脇ファンは安心して?いい 宮脇亡き後、鉄道文学は今尾恵介と原武史のビッグ2で均衡を保ってるな。 生きていたら種村はYoutube開設しそうだな
宮脇さんはしそうにもないが >>219
「汽車旅12カ月」と「最長片道切符の旅」と「車窓はテレビより面白い」を、
とっくりと拝みやがれ 日本経済の破滅を「失われた30年」と盛んに言って
よく意味が分からん或いは文学的表現だなと思ったが
プルーストの大文学作品のパロディーだったんだな
自分の作品にもこの作品をパロッたりする先生の教養の広さにはあきれるよな 千葉県は安い駅弁しか売れないのかというご指摘だが
千葉県はどの方面の特急や急行に乗っても1時間内外で終着駅に到着してしまうからではないかと 千葉、銚子電鉄。黒字。だけれども、
久留里線、収支係数15000。史上最悪の赤字。
全JRでも、ワースト・ワン。
先生が嘗て乗った美幸線も兜を脱ぐ超赤字だ 久留里線は、数字盛ってるよね。動労千葉に気遣いいるし 宮脇作品に登場した車窓の風物を、グーグルアースやストリートビューで探してみるというのは
やってる人は少なくないと思うが、実際にやってみて面白かった風景などはありますか?
私の場合は日豊本線のシラス台地の断崖や見附島、三本杉岩など。 >>232
そういう問題じゃなく気分の問題
乗車時間が短いから駅弁を買う気にならない >>233
内房線自体が京浜方面からだと大回りな上に
木更津から久留里まで更に大回りルートだからな
アクシー号に適うわけがない 久留里は15000円は末端区間だな。
東が敢えて末端区間を公表したのは
「キムラ・ロックを極められてどうしようもなくタップするしかない」という悲鳴なのだろう
たしかに小湊に並行するよな時刻表の地図をみるだけでも、もう大変。
君津の女性市長は勿論断固存続だからこれから大変だが・・・ 久留里線だけじゃなくて、
内房線外房線成田線総武本線の末端区間、東金線、
いすみ鉄道、小湊鐵道、銚子電鉄、流鉄、旧千葉急行含めて
「千葉県内の赤字な鉄道路線、県としてどうする?」って
県庁でプラン練って県民に問うて、
税金投入して存続するか、廃線してバス転換するか、でしょうね。
昔「岐阜県内に4つも三セク転換路線があるのでこの路線だけ優遇できない」と
宮脇さんもどこかで言われてましたし。 これは特筆大書したいスクープなんだが銚子電鉄は黒字なんだよな。
勿論そのことを以てJRの久留里線を弁護することはできないが >>239
樽見線ですね。
線路のない時刻表。
しかし千葉の鉄道の衰退は凄まじい。
昔は2往復だけど、特急すいごうもあったのに。
あやめも消え、さざなみも通勤にほぼ特化。 山万ユーカリが丘線は不動産屋経営の路線。
ディズニーリゾートラインは遊園地運営会社の路線。
せんべい屋が鉄道を経営しても良かろう。 鉄道が赤字というけれど
赤字でない道路ってどれだけあるのか
金の流れかたが違うだけでは
アクアラインだけで千葉県の鉄道全部の赤字以上じゃね 翁は、サイコロきっぷで餘部が当たったら、喜ばれるのだろうか。 >>241
>>242
松浦海軍 海賊
嵯峨源氏渡辺氏流とされる松浦氏系大半一部に
奥州安倍氏、源義家に負け宗像の筑前大島に流され安倍宗任の子孫の松浦族松浦安倍宗任系が
浦 松浦族
佐賀北西部松浦郡が松浦あった。松浦松浦松浦末
団水軍松
全通
国鉄松浦 松浦松浦松浦 松浦松浦松
MRもしくはMR鉄
松浦鉄西松浦 松浦松浦 松浦
潜竜ヶ滝せんりゅう、肥前吉井、吉井、
させぼより最も西、たびら平戸口
有田よりたびら平戸口末は1570
松浦 松浦松浦松浦 松浦松浦松浦松 デズニーは創始者が無類の鉄道キチガイだからリゾートラインもそれなりに面白い
鉄道への純烈な愛や熱があればだれが経営者になろうが関係ない
否否、運輸省や国交省のエリート連中が経営した結果が
150年の鉄道歴史で最悪の赤字になった今のJRだとおもう。 数数数数数数数数数数数数数数数数数数数数数数
デズニー鉄鉄キチガイなってリゾニコ孫
より面し
鉄鉄へは濃厚に変亜弓えにだれを経営者にあようが関連がある
否否、運輸や国交頻でエリート連中の経営した末果は、歩みては最悪で
150年鉄道歴史あゆみいまJR 鉄道博物館で開かれてる、「鉄道を作った日本の旅150年」展示を見たら、
終戦の所で、「時刻表昭和史」の文章を引用をしたパネルと、書籍の展示があった。
それと、「その日も列車は走っていた、宮脇俊三が1945年を迎えた米坂線の今」
という動画も流されてた。
今の米坂線の映像に、「昭和史」からの文章を引用して重ねてるだけで、
宮脇本人の映像は出なかったけど。 そうした発表をもとに「空襲目録」をつけていた私は、帯広、銚子、宇和島などさえ焼かれたのに、なぜ京都、広島、長崎が攻撃を免れているのか不思議でならなかった。アメリカ兵の捕虜収容所でもあるのかと思っていた ついさっき放送された「所さんの目がテン!」で、北陸本線のループ線を紹介してたけど、たしかに宮脇氏が書いた通り、
どこをどう走っているのか分からなくなりそうな面白さがあった。 タモリ氏も以前、「タモリ倶楽部」であのループ線を「方向感覚がおかしくなる」と言ってたな タモリの祖父の本名は何かな
満鉄の熊岳城駅の駅長だったというが
国会図書館にある満鉄の職員名簿をみても森田うんぬんはどうも見当たらん
副産物で自分の祖父や叔父は確認できたが 八月七日の午後、大本営発表があった。
一、昨八月六日、広島市は敵B29少數機の攻撃により相当の被害を生じたり。
二、敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり。 その翌日から、ラジオは繰り返し「一機でも油断するな」と放送した。そして敵機が落下傘を投下した場合は新型爆弾かもしれぬから、敷布など白い布をかぶって地面に伏せよと告げた。それまでは「白」は敵機の眼につきやすいから着用するなと教えられていたのである。 >>261
白い布の怪しい集団ってのがありましたね。 >>217
>自分のことしか書いてないのに戦前戦中のことがわかるよ
北杜夫氏の作品で紹介されていたトーマス・マンの言葉を思い出した
「詩人とは、自分ひとりのことを語れば、それがそのまま世界全体を語った
ことになる、そんな人のことである」 >>221
大文豪プルーストも凄いがイエ―リングも凄いな
周知のようにこの大法律学者の子孫の歌手が先日亡くなった。
今のインバータ電車とやらと違い旧型客車内ではラジオがよく聞こえたものだが
山陰鈍行客レなどで一日中乗ってるからついラジオをつけるとこの人の歌がよく流れていたな。 まもなく8月15日だと言うのに、
米坂線の今泉駅から坂町駅間は、当分の間、列車運転見合わせか(´・ω・`) >>268
接点
津堅信之→宮崎駿→耳をすませば→カントリーロード(オリビアニュートンジョン)
→聖蹟桜が丘駅メロ→京王電鉄→宮脇俊三 折角角松
静籍を入れる 鳥栖ハスターズ MRs3セク松浦
バッタ 浦ュリ
バブ恥ジュリ穴お立ち
>>268
あの本のあとがきを読んだ時には、別の本を手に取ってしまったのかと思った >>269
もっとわかりやすい接点がある
「アニメーション三人の会」柳原良平→宮脇本の装丁でおなじみ
柳原氏は先生の似顔絵もよく描いてるから宮脇俊三は実質アニメキャラ 現在の米坂線1131D
今泉12:45着 13:00発 宮脇俊三で修士号
monokoto.jugem.jp/?eid=8686#gsc.tab=0 77年前 まもなく赤湯9時44分着。11時02分発で今泉11時30分着。 やはり帝國陸軍将校にして帝國議会衆議院議員の倅で超公的存在だから
自分史即ち大東亜戦争史になるんだと思う とす
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HUB恥ジュリ穴お立ち台 かまぼこになる前のドロドロを飯にぶっかけて食べるにはどこへ行けばいいですか? シンエヴァンゲリオンのラストシーンに
遠州二俣と宇部新川
監督の出身地が新潟県五泉市(磐越西線)
とても偶然とは思えない とす
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HUB恥ジュリ穴お立ち台 きょうのブラタモリは「桜島」だったが、あの妙に生々しい屋根つきのお墓も出てきたな タモリは満鉄駅長の孫という毛並みの良さでかつNHKの鉄番組のレギュラーなのに
何より本人は漢語のものまね?でビッグになったのに、なぜか中国乗り鉄しないんだよな。七不思議だな
ようやく深紅の優勝旗が、地続きで白河の関を越えたか 昭和22年8月の 全国中等学校野球選手権の決勝戦を見ているんだよね。
小倉中6−3岐阜商 西宮球場 台湾鉄路千公里が中公文庫から復刊されているが
翁の作品が中央公論から出版されるのは初めてじゃないか?
(厳密にいえば、今の中公は読売傘下の別会社だが)
ご遺族がGOサインを出したのか、解説の関川夏央氏の
尽力か分からんが、生前の翁の発言を思い起こすと
出版の経緯はちょっと気にかかるね >>293
親本の内容に加えて、後日の台湾紀行も合わせて完全版とするのは、
編集としては面白い。
実際に買うかどうかは、本屋で解説を読んで決める。 関川の解説ってあんまり好きじゃないな
この人の文章読んでると、宮脇作品がすごくつまらないものに思えてくる もう40年宮脇俊三は追っかけてるし、文庫本も揃えたけど、宮脇のうまさを引き出す解説は山崎正和がダントツだったよ。 >>295
宮脇作品ってそんな面白いもんじゃないだろw 自分は中国古典希臘古典にしても解説をあまり読んだためしがない
勿論面倒臭がりのせいもあるけれど、何も試験に合格目当てで
読むわけじゃないから自分が解説者だぞという気持ちで読んで居る。
ましていわんや先生はおやじより一級上で同世代だから解説があるとかえって余計だ。
この世代の文章は空前絶後の読みやすさなんだ。 >>299 どすて
蘇り
よみがえり 甦り 黄泉がえり 行う おこな
郷 郷 裁縫地産地消 南正時が、東洋経済オンラインに書いた記事
かつては"気動車王国"、四国の今昔「名車列伝」
ttps://toyokeizai.net/articles/-/613999?page=2
で、宮脇と瀬戸大橋に試乗した時のエピソードが出てた 南Cマンは、今はすっかり高幡不動や百草園が似合いそうなおじいさまになったようだが
嘗ては豪快な体格で100系デビューの取材で食堂車のメニューを爆食するフードファイティングぶりだったな
先生は先生で和定食を食べ散らかしたかと思うと個室で原稿を書き始めたり神出鬼没の行動派ぶりで
皆さん若かった >>291
//www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20220823/6000020674.html
先生なら鈍行客車列車だが、令和の球児たちは320km/hのE5の車内で地図アプリを使い
白河の関付近を通過したのを確認して白河神社の御札や優勝旗を広げたりしてお祝いした旨。 >>298
種村は実用性は高かったが宮脇よりつまらなくて品がない >>293
びっくりするほど売ってない。
文教堂 有隣堂 くまざわ
本屋3つまわったけど。 >>304
基本スペックはサツ回りのブン屋だから、
それを善いと思う人を相手にするしかないだろう。
無理して高級文学路線に行くのは無謀というもの >>305
最初に行った有隣堂で、平積みになっていたけど。 有隣トハ何ゾ
「徳ハ孤ナラズ。必ズ隣有リ」(論語) ttps://news.yahoo.co.jp/articles/68b0bda52a5530351a9ce06dd41b7f7d18d7e66e
「33年ぶり」ファンの話題に JR「最長片道切符」の終点駅が変更へ
最長片道切符の終点駅が、肥前山口から新大村駅に変わるとの由。
肥前山口駅が無くなるわけではないけど、氏の作品の痕跡が消えて
しまうようで寂しい。 宮脇の時には、終点は枕崎だったので、直接には関係ない話だけど ルートが変わり続けるのが最長片道ルートの面白さだと思うけど
廃止とかじゃなくて、新線開業によって起終点が変わるのは結構珍しそう
多分前回は石勝線全通時とかになるんじゃないだろうか どうせ長崎新幹線全線開通時にはまた変わるんだろう
ルールとしては同じ区間を2回以上通らなければ片道切符は成立するのだろうが
実際に旅する場合は起点と終点は行き止りでなければ意味がない気がする 新
と
す
て
ところ じゅうぞう
所十三は日本絵師。静岡県掛川市。
63歳
信幸岡田
石川潤 革命
71歳
明治 重信房子
大学 7● 歳
革 憂国
共産 首
早稲田鶴巻
団塊みち
70より道80歳 革
団塊jr
52より道47歳綾瀬コンクリ事件
止 止止止 止止止止 日本は国土が細長いから最長片道ルートもそういうのが思い浮かぶけど
ドイツとかフランスみたいに丸っこい国だと
最長ルートも途中駅から途中駅みたいになりそう >>315
路線図が丸っこいJRでみると
JR九州の最長片道切符が古国府→肥前山口
JR四国の最長片道切符が若井→窪川
たしかに、端っこでもないところが起点終点です 最長片道が盛んなのは細い國限定だろ
フランスは変わった連中が沢山な国なのに
ムッシュ・ミヤワキのような人のニュースは、聞かない。 と とすて
松浦党息栖神
路老舗速雀売り上げ
十戒針w辞
ぞ通千刃し
うず坊 り
末 朱
w 印
帳 ムッシュミヤワキは大企業の重役なのに鉄ヲタだから注目されただけ
底辺職のキモい高齢鉄ヲタは当時でもニュースにならない 五月七日(日)
バスでロンドンの半日観光。バッキンガム宮殿へ行く。
きょうは、ひときわ人出が多いらしい。第二次大戦でドイツが降伏してから五〇年目に当るので、その式典に臨むエリザベス女王の車を見ようという人たちである。
敗戦国民の私としては愉快ではないが、背伸びをして宮殿の出口を見るうちに、鹵簿が現れた。エリザベス女王の横顔が見えたような気がしたが、どうだかわからない。 >>317
ムッシュって、ポール・ボネ名義で本を書いた藤島泰輔みたいだな。
ちなみに、日本人の筆名だとは知っていたが、著者が右派・保守系の人だとはネットではじめて知る。
左派の大学教授といった人の筆名だと思っていた。 ヨーロッパ紀行では「鉄道の家元」たるイギリスは本当に軽視されてるよな
枢軸国の独逸やイタリアでは勿論じっくり乗りまくっておられる。
普通、歴史系鉄道マニアだったら半分以上の期間はこのイギリスにべったりいて
鐡道史跡巡りに汗水たらすものだとおもうが、、、
英米撃滅の大東亜戦争世代のゆえか そもそも鉄道の車両や設備への関心は薄い人だから
車窓鉄としてはイギリスの車窓は単調でつまらない 先生は基本スペックは歴史マニアだろ。
何せ東大の西洋史科にわざわざ入試しなおしてでも這入ったくらいだしな
それは勿論日本を力で屈服させた英米を研究する為だろうが。ただ研究してみると
英米の余りの浅さにあきれてデカダンや反共の方にいったんだとおもう。 宮梨は尾張wあゆみゆぺちゃんこで男だろw梨興味wブスでペチャんこでカバ鶴城鶴城しね
シネまつら党
インシュリン鶴城不法入国不法滞在密入国密猟
Twitter散布 >>331
終戦直後の東大文学部なんて金持ちなら誰でも入れた
ほとんどの青年は大学なんか行ってる余裕はなかったからな >>333
1991年に地方の国公立大学に入学した自分とは時代背景も大学のレベルも大違いだろうな。 >>329
山岳鉄道大好きだったし、イギリスとは合わないだろうね >>334
でも東大がトップなのはずっと変わりないけどな
地底駅弁の文学部はもっとザルだっただけで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています