【M4シャーマン】汎用戦車 12【T-34】
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大戦中大量生産された戦車
どちらの方が優れているのだろうか? 【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.6
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1612834100/
日本軍戦車については話が長引くならこちらへ
棲み分けを無視せずルールは守りましょう >>1
よくぞこのスレを立てくれた
褒美としてヴァリアント歩兵戦車に乗る権利をやろう T-34の砲塔は弱かったみたいだが
なんで微妙な強化しか無かったんだろう
戦後のソ連の亀の甲砲塔のように
正面だけなら厚くても重量増加はしれてるのに T34/85の売りは三人砲塔と火力
防御の増強は無視された
火砲の変更と比べれば装甲増強の重量負担は高く、費用対効果はよくない。 結局は生産性優先した鋳造だからいくら厚くしても抜ける弾はある 実際大戦中のマイナーチェンジ増強車両は大抵火力を優先にした
三号、四号、チハ、ファイアフライ、シャーマン76mmもそうだった
少数の例外はジャンボ まぁT34-76で50、60、70ミリとびみょーに強化されてるようですね >>11
T-34/76だけではなくKVシリーズを含めてソ連も一時期に装甲増強に走ったが
虎と豹が登場した以降に火力増強と全新プラットフォーム開発に移行した。 シャーマンの前部傾斜が80ミリだったらパンターなみの防御力になる >>13
つ パーシングの前身T20中戦車
https://i.imgur.com/al2mc6n.jpeg
スペックのバランスはいい戦車だが火力は76砲シャーマンと変わらないため量産されなかった >>7
カウンターウェイトを設けず正面だけ厚くすると
総重量の増加は抑えられても上手く回らないとか運用で難が出るからでは?
T-34(76)で45mm→52mm→70mmと約1.5倍まで強化されてるし、
T-34-85になれば3名搭乗のための砲塔の大型化と相まって
砲塔後部に弾薬置き場のあるデザインから90mmにまで強化されてるから
マイナーチェンジレベルの変更のシャーシに対して
85砲塔も含めれば初期に比べて2倍にまで強化できれば御の字かと。 >>7
T-34シリーズの砲塔強化が微妙というよりは、
バスル部とかカウンターウェイトの無いデザインで
長砲身化と砲塔前面の重装甲化を進めてる
戦後ソ連戦車のバランスの方が気になる。
https://thesovietarmourblog.blogspot.com/2017/12/
T-72
砲の細かい性質はともかく、
スペックだけならヤークトティーガー(128o/L55)級の砲(125o/L48〜L55)と
40pの複合装甲で超フロントヘビーな気がするが、
旋回機構を強化して物理的なバランス問題を誤魔化してるんだろうか? >>14
パーシングは開発が長引いた事、生産が遅れた事により
配属時には既に時代遅れ感があるな >>17
細かく改修されてパットシリーズになった後は現役だぜ
基本設計はそう悪くない パーシングがあの時に時代遅れと言うなら何が時代遅れじゃないのかな パーシングでつかってる技術レベルなんてイギリス以外はいつ追いつけたんだよw T-44で先進的なのは、シャーシだけで車体が構成され履帯の上に出るスポンソン部分が無くなった(KVとか昔からそうだったけど)のと
エンジンが横置きになって機関部を短くできたこと、その程度かな エンジン横置き箱型車体はM26もそうなのでエンジン横置きしかないですね
ミッションは言わずもがなアメリカの方が先進的で上ですし >>24
誤 エンジン横置き箱型車体
正 箱型車体 パーシングの砲塔は前面がデカい
しかしT25E3の段階で砲架が小型のものに変更されたので
ディメリットに成った 朝鮮戦争で鹵獲されたM46(現在も博物館にある)はソ連で調査されたが、IS-3などと比較して防御力に劣ると、評価は高くなかった シャーマンもそうだが
アメリカ戦車の利点はスペックじゃないことはイスラエル軍に証明されたじゃね? M46の評価、装填手のスペースが不足ってIS3スターリンも狭さではそうとうひどくね
IS2のほうがM46より広いならそうかも >>30
MBTとしての評価なんだろ
砲弾が薬莢式じゃないスターリン系はスペースがどうこういう次元じゃないし
まあでもパットン系は代々かなり大幅に砲塔形状いじってるから、運用者のアメリカも試行錯誤してたんだろ クロスドライブ式操行装置の初期のタイプで、トラブルが完全に解消されて無かったかも エンジン コンチネンタル AVDS-1790-3
4ストロークV型12気筒空冷ガソリン
これって非力で坂も登らない、油圧砲塔も旋回がのろのろ
と韓国軍でひょうばん悪いらしいが
よくわからんがAVDS-1790系はイスラエルが愛用して
センチュリオンやメルカバにつんでなかったか 90度4ストローク V12強制空冷1791.7立方インチ(29 361 ccm)ボア・ストローク146ミリ
ブイ12気筒の空冷で信頼性ばつぐんなんて、大失敗したポルシェは泣き出しそう M4は他国で整備性信頼性が評価されているが他国の戦車はこれらが後回しにされているのか >>33
イスラエルで使用してるのはディーゼル版だろ
しかも加給してる
形式同じだからブロックは同じか近似なんだろうけど、ほかはほぼ全部違うんだろうね
M26/M46はミッションがATだから、そっちの問題が不評の一因になってる気がする
当時の技術で40t以上ある抵抗の塊ATで走らそうとかチャレンジャーだったなあと感心するが
まあメルカバも重すぎでトロくさいことでは定評あるが
しかし空冷ディーゼルとかまるでチハたんのよう… 整備性の良さはM3系からの伝統だよね
エンジンの信頼性は今でも車から航空機までトップレベルだよ >>35
戦車そのものが無理の塊なんで故障前提で整備班つけてたんでないの? >>38
1mmも調べないで
適当なデマ書く奴は何でよく出るんだろ? >>39
m4の逸話としてソ連親衛戦車連隊に集中配備された理由は
連戦連戦でのここ一番できっちり動く信頼性能にあったとされる
機械的信頼性能を満たす部品を歩留まりなしにポイポイ作れたのがアメリカだったからで
他の国はソ連は当然としてドイツですら野整備が付いて回る配置になってる
日本?島田戦車隊の突進をささえたのは整備班のゴッドハンドであって戦車の機械的信頼性ではない 日本軍の戦車で一番信頼性高かったのって何?
装甲車とかも含めて >>41
ハ号
出力に対して車重が軽く
駆動系の負担も少ない ティーガー大隊だと、野戦整備で砲塔を吊るせる16tガントリークレーン等、それ専門の装備をもつ整備中隊がついていった
逆を言えば、そこまでしないと前線での運用ができない M60A1戦車の車体前面は超音波測定で109ミリで65度の傾斜で厚く砲塔より
手ごわい相手です
しかしパットンシリーズの鋳造装甲はブリネル硬さ200しかない
これはソ連の鋳造装甲の半分のかたさで
ドイツのタイガー戦車の装甲はドルムントヘアダ社製でブリネル309
パンターのE22装甲も309規格であり
また英国の戦時規格ヴィッカース装甲板は
表面がブリネル硬さ600内部が350である イスラエル戦車兵がパットンを小馬鹿にしてたのがわかる
センチュリオンやT55の装甲の半分の固さしかないのだから 米軍の場合、シャーマンの数値を見ればわかるが、厚い部位ほど柔らかめにしてある
硬いということは脆く割れやすいということでもあり、厚い装甲では粘り強さが優先される
日本戦車などはカチカチに硬くするよう指示されていたのが、三式以降は硬度を落とし粘りをもたせる方向へ >>47
と言われてるが実際の硬度は表面硬化装甲として標準的な硬さだったり>三式
というか50mmだったら普通は硬くしないとダメ。パンターの側面装甲は50mmだが別に柔らかく無くコレも表面硬化装甲だし だからカッチカチだったチハより柔めになったって話でしょ
ティーガーIIはティーガーIより更に柔め、しかしソ連軍の調査によると不純物も増え、装甲板の質が低下していたとか >>49
実は硬さあんまり変わらないんだぜ
三式の熱処理の仕方を変えて品質を向上させたのよ 硬度と粘性のバランスを考えた結果
戦後はrha一択
鋳造砲塔作れなかったドイツ戦車は
割れやすい T34-76の装甲は内部剥離しやすく75ミリの4号戦車で1キロ、88だと2キロの距離で屠れた
ニッケルを新規装甲に入れるより
古い兵器や屑鉄をスクラップにし溶かして戦車作るほうが早く余裕はないとのことだが
確かにシャーマンとか英米戦車は剥離しにくく好評 ソ連の戦車修理は炎上焼損した戦車でなければ治すという基準だが
意外にもT34よりもシャーマンのほうが再生率はずっと高かった
内部がひろいせいなのかレンドリースの修理部品が豊富だったのかは不明 >>54
英連邦を敵に回したドイツちゃん銅資源で脂肪したから耐熱材その他が大変な事に 味噌つけて焼入れしたヤスリや
スイスの馬糞つけ焼入れしたバローべなら
HRC67くらいいきそうだ
パットンは硬度20なので余裕で削れる >>58
チハたんはHRC63くらいとの事なので、実はヤスリで削れる ってこたー司馬の上官がヤスリでほーら削れないだろってやってた部位って
チハたんのどこなんだろ >>60
そもそも装甲を削った話は、書籍ごとに記述が変わってることから司馬先生の作り話或いは記憶違いっていう説がある ノモンハン事件ひとつとっても司馬さんはデタラメだらけだから
司馬史観などと持て囃されてもしょせんは面白おかしく書いて売れればいいだけの単なる物書き、学者でも技術者でも何でもない 司馬遼太郎(福田定一)が所属した戦車第一連隊には三式中戦車は配備されていなくて触れる機会は他の連隊に将校旅行に
行った時だけなのでまあ削れないだろうなと思うが。
司馬遼太郎って旧軍嫌いの戦車嫌いのイメージだけど自分の所属した戦車第一連隊第五中隊の戦友会の発起人をやってるんだよね。
戦車第一連隊発祥の地の久留米にある「戦車の碑」の碑文が司馬遼太郎の草稿(揮毫は戦車第3師団長山路秀男元中将)だったり戦友会には
欠かさず出席したりで戦車第一連隊第五中隊第三小隊長福田定一元少尉は別の側面もあったりする。 なんかの回想エッセイでこの戦友の面倒は俺が見てやらないとみたいに言ってたから
人並かそれ以上の戦友愛みたいなのだけはあったんじゃねえかな多分
でもその話は、他の戦友には同じことを思われてたってオチだったけど
やっぱでたらめっていうか回想でありがちな盛り盛りだったのかね 司馬は軍の上層部が気に食わないだけど、欧米戦車と比べれば絶妙にダメダメそうな雰囲気を漂わせる日本戦車大好きだろう。 多分あれだな、「上層部のせいでオイラ達がこんなダメな子で戦えるんだ〜兵士もチハたんも可哀そう」の感じで言っていた ノモンハンで日本戦車がBTに歯が立たなかったという、誤ったイメージを作ってしまった戦犯の一人 >ノモンハン
チハは初陣から連隊長を戦死させたので何とも言えないな
事実上の主力であるハ号は戦車戦には普通にダメだった
いずれにせよノモンハンでの強敵は「対戦車兵器」で、日本陸軍戦車の最後の戦いもノモンハンと大差なくソ連対戦車兵器にやられた。 BTの戦車砲も対戦車砲も同じ45mm砲だったが、日本戦車兵のほうが腕がよく、戦車相手なら先に命中弾を与えていた >>69
それは日本戦車兵が凄い話であり、ハ号が凄いの話じゃねぇだろ?
手軽い高速軽戦車として設計されたとはいえ同期のBT-5より優れるとは言いにくい
しかしハ号は大戦の最初から最後まで日本戦車の主力であった 司馬はどちらというと1930-40年代の昭和日本と特にその上層部嫌い
明治日本なら大好きだぞ
話を盛ったとはいえ司馬氏が言いたいのは多分そこだろう
「こんな弱そうな戦車しか作れないのに米英ソと戦争して何になる!」と、 つっても日清戦争は日本の侵略戦争だと断じて叩いてたからそうでもないと思う 中戦車パンサーと重戦車タイガー、マイバッハは両方のタンクにほぼ同じ21リッターV型12気筒650馬力エンジンを取り付けることを提案しました。
30トンのパンサーのエンジンはマイバッハHL210P30,タイガーの45トン仕様はHL210P45エンジン。これらはラバーマウントを介して車体に固定される
重量を節約するために、シリンダーブロックは鋳鉄ライナー付きのアルミニウム合金で鋳造されました。鋳鉄ライナーの周りには冷却水がながれておりウェットライナーで
鍛造ピストンは、耐摩耗のSi含有量が約20%の低膨張アルミニウム-シリコン合金でできていました
それぞれに2つのダウンドラフトSolexキャブレター、タイプ52 JFF 2-2U 2046が取り付けられています。これらのキャブレターは、ジェットが露出したツインチョークタイプです。
排気バルブはナトリウム冷却されていますが、バルブシートインサートはありません。
バルブを打つロッカーはスチールスタンピングで製造、偏心ブッシュに取り付けられており、その回転によりタペットのクリアランスを調整。バルブの遊びを容易に調整する
ブッシュは、ロッカーピラーの固定ネジとワッシャーに取り付けられたスロット付き象限によって、目的の位置にロックされます。
ドライサンプ式で、圧送式潤滑システムが使用されています。圧力ポンプは、シリンダーヘッドとタイミングギアに導きます。クランクシャフトは、圧力ギャラリーにパイプで送られる
圧力下でオイルを受け取ります。、エンジンの両端に設置されたスカベンジポンプは、そこからオイルキャニスターに戻されます。オイル容量は28リットルです。
オイルクーラーは水冷式、オイルは冷却水でひやされ一定温度になる、ラジエータから戻る水が油/水熱交換器にてエンジン冷却システムに入る
ウォーターポンプからの出力はシリンダーブロックのウォータージャケットに送られ、そこからシリンダーヘッドを循環します。シリンダーヘッドからサイドラジエーターの上部に入ります HL210P45エンジン量産は1942年8月に開始されパンサーのHL210P30の生産もほぼ同時に開始された可能性があります。残念ながら、、新しいタイガーがロシアに到着したとき
、10タンクごとに1つのスペアエンジンと1つのトランスミッションしかありませんでした。スペアパーツの重大な不足は、短期間で使用できなくなったことを意味しました
パンサーも(D)も同様に不運でした。春にロシアに到着したとき、故障(エンジンガスケットの漏れを含む)は非常にひどいため、バッチ全体をドイツに返送する必要がありました。
パンサーズを再建するための特別な工場がベルリンの近くに設立された
その間に、マイバッハはHL210を再設計し、アルミニウム製のシリンダーブロックを鋳鉄ブロックに交換し、23.88リットル(1457立方インチ)にボアアップ、排気量が増加しました。
これにより、モーターの重量が増加しましたが、剛性も増加しました。その結果、3000rpmで700bhpまでパワーが向上しました
すべての変更にもかかわらず、HL230 P30を搭載したAは、過熱、エンジンコンパートメントでの火災、ヘッドガスケットの吹き飛ばしに悩まされていました
ヘッドガスケットの問題は、1943年8月に銅のリングを溝に押し込んでヘッドをシールすることで解決されました。HL230 P45には新しい設計のピストンが取り付けられ、圧縮比がわずかに低下
1943年11月、ガバナーがHL230 P45に設置され、最大回転数が2,500 rpmに制限され、全負荷時の最大速度が38 km / に制限されました。
新規エンジンでもベアリングの故障が原因で頻繁に故障が発生し1944年1月から改良されたベアリングが新しいHL230P45に取り付けられました。調査によればベアリング破損はオイルの泡が問題で
これを解消するには高品質のオイルが必要ありドイツでは不可能だった(空軍でも同じ鑑定結果が出てる)
このエンジンはクランクシャフト末端のベアリング焼き付きが多かった。ヘッドに送られるオイルは、シリンダブロックの穴が大きくオイルが落ちる量が多いと
ヘッドのカムが摩耗、ぎゃくに通路が絞られると腰下のクランクが焼くつく。豊田中研によれば、低回転を多用すると油圧が低くカムが摩耗する。高回転を多用するとオイルが上がり腰下が痛む、
マイバッハエンジンは高回転を多用する傾向にあったことがトラブルの要因であったと推察される マイバッハエンジンは狭い場所で押し込まれても700馬力で提供し技術の驚異と言えたが、しかし複雑高価で、きわめて製造が手がかかるのが難点であった
ヒトラーは可能性が薄いことを承知しながらMB507エンジンを使えないかとしつこく聞いた。マイバッハ博士は小児的な問題はすぐ解決すると断言、シュペーアは博士に信頼をおいていた
43年後半までに、ヘルマン・ゲーリン(大量強制労働を伴う戦争生産の4カ年計画の責任者は、メイバッハの生産を保護領ズデーテンラント帝国ライトメリッツの町のすぐ西
にあるラドビル山の下の地下工場に分散させることを計画。ここに既存の採石場がありましたが数キロメートルの長さの生産と組み立てのための計画されたスペースに対応するために、
施設を拡張する必要がありました。
重要生産ラインであるシリンダーヘッドとクランクケースが、合計180台の機械で地下工場に移されマイバッハHL230エンジンがライトメリッツで製造されました。最初のものは11月14日に完成しました
生産ラインには、ElsabeAGとして知られている分遣隊の熟練した囚人が配置されていた。
司令部は死亡率を減らすためにの囚人の状態を改善するための努力をした。囚人は洗面所のある倉庫に別々に収容され、食料の配給量を増やしました
キャンプ自体は、かつてのチェコスロバキア軍の基地にありました。SSの警備員と管理者、および民間労働者は元の兵士の宿舎に住んでいましたが、囚人は、
二重の有刺鉄線の柵と7つの監視塔に囲まれた、7つの兵舎が建設され、収容人数は4,300人の男性と、別の女性キャンプにいる1,000人の女性でした。 マイバッハは、戦争中、ますます強力な4ストローク水冷ガソリンエンジンを開発し続けました。HL230の発展型であるHL234でした
燃料噴射メカニズム(ボッシュによる)および過給エンジンを開発
エンジンは約23.4リットル給されていないバージョンは、900 PS @ 3,000 rpm、過給バージョンは、約1200PSを提供
メインのスーパーチャージャーは、HL234のVに取り付けられた70 PSの独自のツインシリンダースーパーチャージャー付き1リッターエンジン(キャブレターは通常の吸気エンジンに配置さ
れていました)によって駆動されるはずで43年4月までに、HL230のクランクシャフトベアリングとコネクティンロッドも強化され、直接燃料噴射システムが装着された
HL230に対するその他の改良点には、水冷式スパークプラグが含まれていました。より良い気流のための改良されたインテークマニホールド。エキゾーストマニホールドも改良されました。
コイルタイプのバルブスプリングの代わりに、HL234ははるかに強力な皿ばねを使用しバルブの開放時間を短縮しました。さらに、ロールスロイスマーリンエンジンで使用されて
いる設計を採用することにより、ゴム製シールと銅製ガスケットの問題が解決されました。 >>70
あのBT-5と対決して先に当てた方が勝ちまで行ったのはスゴイけど、後継が全く作れなかったのがなぁ
主力中戦車すら数が無いから、戦略的には負けだし BTと撃ち合って勝ったのはイ号(八九式)だけどね
低初速で貫通力も低い57mmで、小隊単位で1両を狙って集中射撃、BTの機関部付近に当てるとガソリンが炎上した
そもそもBT-5は前面装甲でも13mmしかないので、機銃弾に耐えるのがやっとの防御力だし 司馬せんせはイ号で全くBT倒せずに指揮官が発狂したとか書いてましたね レマーゲン鉄橋は崩落したあと再建されませんが何故でしょうか
住民は河渡れずたいへん不便です
ちかくに橋もなく地元民はフェリーで渡るようで まず「レマゲン鉄橋」は通称で、本当の名はルーデンドルフ橋
そもそも地元民が対岸への往来に使う目的ではなく、第一次大戦当時に軍事目的の鉄道橋(エーリッヒ・ルーデンドルフ将軍から名をとった)
として建てられたもので、1960年代にドイツ連邦鉄道が再建を考えたが、コストが見合わないとして再建案を廃棄、現在は歩行者・自転車専用
吊橋を作る計画がある >>78
朝鮮戦争で故障戦車の数が異常に多い事を鑑みると
太平洋戦線では重量級の戦車は使い物にならないから
開発しなかったのでは? >>83
一応20t以上の四式戦車を開発したが、すでに運べる能力はなかった
ホニ車をフィリピンに輸送する時にさえ輸送船が撃沈されて半分水没になった >>83
朝鮮戦争時はろくな工作機械もない日本で改造や整備してたのも影響あったと思うな
航空機も戦車も
いずれにせよ赤羽スペシャルとか出番なかっただろうけど 故障放棄に至るのは、中国人民志願軍の反撃で後退したときでは? >>46
センチュリオンは被弾貫通しても被弾箇所の乗員が死傷するだけでパットンみたいに全員死傷とか発生しなかったのでイスラエルのお気に入り
即応弾の配置とかメルカバ設計の参考にされてる パンター戦車の機関室には大きい冷却ファンが2つ並んでいて、これはクラッチでフライホイールから動力を取り出し
傘歯車とドライブシャフトで大型ファンは回されエンジンの高温を排出
T34などのV2ディーゼルにはシロッコファンがついていたが、風力が弱かった
またシロッコファン自体は音が静かという利点があるもののV2エンジンが騒音がひどく3キロ四方に轟いたので意味がない
ソ連の技師はパンターの冷却ファンの強力さに注目、IS4スターリンではその機構をコピーした T-54の冷却システムは、横置きエンジンのうしろにミッションがあり、そのうえにラジエーターがある
巨大な遠心ファンが車体の後尾についており、ラジエーターから空気を吸い込む
これの欠点は、ラジエーターの熱をすべて、
機関室にすいこんでしまうことで、エンジンやミッションはより多くの熱を溜め込む傾向になる
ソ連では問題にならない、もしくは温かいが砂漠地帯で過熱を引き起こした この温かいラジエーター構成はT62やT72シリーズのソ連戦車でも受け継がれており完全動作であると認められてますが
報告によると、このシステムは極端な暑さでは機能は落ち込んでしまう
冷却システムは、最大25℃の周囲温度で最大の冷却効率が得られる。ヨーロッパの夏には十分であるが
温度が高くなるとシステムの負荷が増加するため、冷却ファンが必要とするエンジン出力の割合が大きくなります。
高温ではパフォーマンスがわずかに低下し始め45℃の以上の温度では、エンジンの出力が急激に低下します(最大33%の損失)。
過熱は、最大50℃の周囲温度で大きな問題になりますがこれは砂漠で記録されることがあります。
このような過酷な温度では、エンジンを冷却するために、走行停止する必要があります >>89
地域色でるよね
船なんかでもロシアは砕氷基準が昔から厳しいんで日本の船よりサイズの割りに重くなったりするし
どこでも現地改修なしにホイホイ使えるオールマイティな作りの戦車とかってあるのかしら フェンダー上に非装甲の燃料/オイルタンクが露出してるのも、砂漠で直射日光を浴びてると軽油ですら引火点に達してしまいエラいことに ティーガー1の機関室は3部屋にわかれ、左右隔壁が、前に三角形のガソリンタンク、ラジエーターが中央で後部に4つの排気ファンをおく
そうすると左右に振った燃料タンクの位置を狙われるとまずいのではないかと思えるが、パンターはこれを懸念してか
中央のエンジンルームに5つのタンクを割り振って、ようするに燃料でエンジンを取り囲む
パンターの戦闘室以降の後部の配置を設計したのはマイバッハ博士で(MAN社に押し付けられたとも言う)
側面装甲がうすいので奥にひきこんだのかもしれないがガソリンは高温で気化しやすく
更に複雑な5つのタンクと多くの配管がゆるむと、パンターが火災炎上しやすい原因となる
「どっきり!ガソリンタンクだらけの欠陥エンジン大遊泳大会」には、自動消火装置が付けられた。が、これは上手く動作しなかった
けっきょくティーガー1の配置がすぐれていた。タンクを撃ち抜かれたばあいラジエータも傷つくので冷却水が消火になるのである
ロイヤルタイガーは、パンターの機関室上面に似て、大きな左右のファンがおかれる
これは総統がパンターUおよびティーガーUの互換性を指示したものでティーガー設計者アーダース博士は信念を曲げられ激怒した
王虎の燃料タンクは、戦闘室下の左右に170リッターのタンク、また左右の傾斜装甲にそって140リッターの三角形タンクが置かれる
これは、もし貫通されたばあい、左右のタンクは、もえることになる。アレクサンダーオスキンがこのケースであった >>83
2km先を見通せる戦場も少ないだろうし
接近戦が基本だから マイバッハ博士もかなりの頑固者というか変人よ
パンター機関配置まで手だして火災
他国のように航空エンジン流用ですむのに
なんでヒゲダルマが新しい戦車エンジン開発すんのよ >>94
日本や特に南方で戦う場合シャーマン相手なら3式戦車で十分な攻撃力あるのよな。
500で殺せるし。 交戦距離短いからな
位置取りうまくやれればチハ改でもなんとか…
機動戦やりにくくて待ち伏せ優位
まあでもあんまりシャーマンの損害が重なればパーシングが引っ張り出されるな
史実でも準備されていたし タイガー戦車を装甲うすくして五十ミリにしてあとは共通でパンサー中戦車でよかったのね
パーシングも装甲五十ミリで中戦車化 マイバッハと航空エンジンのサイズを比較すれば、どれだけ車体の軽量化に寄与してるか理解出来るだろう
他を犠牲にしてまでどれだけコンパクトに出来るか(特に全長)に腐心して設計されたのがマイバッハエンジン >>98
傾斜してない50mmじゃIV号戦車になってしまう
それでは米軍戦車の75mm砲やソ連戦車の76mm砲相手でも防御力不足
パーシングの中戦車型はT25E1が既にある、車体前面傾斜した76mm(初期のセンチュリオンと同じ値) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています